ざり、と棒きれが地面に溝をつくっていく。 「ところで、君は何を研究しているんだったかな?」 あまり錬金術に興味はないらしい。実に今更ながら、男がロイに問いかけてくる。 「空気です」 男はややつまらなそうな顔をした。もっと過激なものを期待していたのかもしれない。子供のような反応だ、とロイは小さく笑った。 「すぐそこにあるし、利用できるならこれ以上のものはないでしょう」 がりがり円を描き、構築式を書き入れていく。さすがに広い庭で、やわらかい土のおかげでやりやすかった。 「それはそうだが……、空気で何をするんだね」 「まあ、良くあるのが酸素濃度をいじって着火するとか、」 「ふむ。それは楽しそうだ」 話をしながらでも、計算式を間違えることはない。手慣れたものだ。 「なんだけど、間違うと爆発するから」 がりがりがりがり。それにしても、こうしていると腕が痛くなる。最初からプリントされていればいいのに、とロイは思った。状況によって計算式は変わってくるわけなので、それはそれで危険だろうが。 発動の段階で力加減ができるようになれば、不可能でもない。実証されているはずだ。 「火を扱うのは禁止されてるんです、だいたい。普通は、もっとこう……日曜大工的なのが初級かな?」 「日曜大工的」 なぜか男がしんみり頷いた。響きがおかしかったのかもしれない。 「でも素材探しが、これはこれで大変なんです。机とか壊したら怒られるし」 「それはそうだろう」 繊細な文字を書き入れていく。やや真剣な顔になって、ロイはその部分を通過した。本当に、庭が広くて良かった。 「空気ならその辺に転がってるし、それに、とりあえず相手を焼死させることもないので、安全かと思って。ええっと、なんていうか、空気を凝縮したボールのようなものをつくって、更に圧縮した空気を解放することで推進力を得ようと思ったわけなんですが、これが、思う方角に飛ばすのが難しくて……強引な手段ですが、自分側に圧力がこないように壁をつくるんです。この時点でもう複雑すぎて実用性はないような気もしますが、これが、」 「ところでマスタング君」 表情を変えず、男が地面を見下ろした。 「どれくらいかかるのかね?」 「あ、すみません」 ざりざりざり、急いで手を動かす。人が三歩でも飛び越えられないほどの円の中に、細かな文字が延々と書き連ねられている。数式にはロイはきらきらした気分になるのだが、さすがにこの膨大さには自分でうんざりした。 「まだ研究中なので、そこまで気が回らなくて。最適化とシンボル化で、この半分くらいにはなると思うんですが……省略するのにもまた、違った研究が必要なんです。とりあえず面倒臭くて」 男はわずかにくらりと揺れてから「そうかね」と笑った。細められた目は、寝ていても区別がつかない。 がりっと最後の式を書き込んでから、ロイは棒を置く。 「できました。受けてみますか?」 見てるだけでもいいですけど、と挑発するように笑って見せる。そうくれば、この男が引っ込むはずもないだろうと知っていた。ロイはそれを期待している。どの程度の力を持つのか、まだわからないのだ。 この錬成も、それから目の前の男も。 「ああ」 にこやかに言って、男は身体をのばした。楽しそうだ。 「いいですかー?」 呼びかけると、少し距離をとった男が頷いた。すでにサーベルを抜いているが、だらりと片手に持ったままだ。細身のサーベルで防げるようなものではない。けれど、ロイは無意識に背中を反らしていた。 視線が恐ろしく鋭く思えた。 (睨まれてる、わけでもないのに) 不思議なものだった。だからこそロイは、それが自分の勘違いだろうと思ってしまう。小さな子供の頃に悪戯を発見されたようなもので、甘く見れないと染みついてしまっているのだ。 それだけではないのだろう、が。 (ただの見かけ倒しなのか、見せてもらおう) だいたい安穏としている高官が、敬えるほどの力を持っているのか。少し良い気になっているかもしれない。自覚している。恩義を忘れたわけではないが、ろくでもない相手の下になどはつけない。 ロイはこの一年で、存外プライドの高い自分を知った。馬鹿はどうしたって頭の中で馬鹿にするし、たまに態度に出てしまう。男がそうであるのなら、とても従えないだろうと思うのだ。 「それじゃ、行きますよー」 腰をかがめて地面に触れ、錬成陣を発動させる。乾燥した空気が集まっていくのがわかった。一歩を引く。まとまった空気が弾み、それからきゅっと縮こまった。 む、と男が息を詰めたようだった。サーベルを構えている。それでどうにかなるものなのか、ロイには想像ができなかった。視線がロイと、その前の空気を貫いている。見極められるはずがない。 空気は透明なのだ。 (あり得ない) ロイの作り出したそれに、殺傷能力はない。ぶつかって転がされるくらいのものだ。次の瞬間にはその光景を想像した。 しゅ、と空気を切る音がした。 「え」 自分で作り出したロイにも、空気の固まりというのは見えない。多少はぶれた様子が伺える、くらいのものだ。けれどその勢いに関しては認識しており、だいたい、男にたどり着く時間も予測できた。 けれど、何も起こらない。 失敗したのか、とロイは錬成陣を見下ろした。端から端までの計算式に目を滑らせる。間違いはないと認識する前に、異様な風圧を感じた。 「……、」 唇を開いた時にはもう遅い。簡単に突き飛ばされて、ロイは地面に身体をつけていた。目の前にあるものに気づき、ひく、と喉をならす。まだ落ちていない陽が反射している。 目がくらんだ。 「おや」 切っ先の向こうで男が笑う。 「次はなかったのか」 ロイはなんとも答えられず、呆然と視線を合わせていた。容赦なく足が踏まれている。その上で、ひどい至近距離に刃物を突きつけられているのだ。 ただの、実験のはずだったものが。 「なかったのかね?」 返事のないロイに、また男が問いかける。その調子はまったく真面目なものだった。笑っている、が、笑っていない。 微動だにしない切っ先に視線をうつす。唐突に。 「……ない」 ぞくりと背中を上がるような恐れを感じ、ロイは強く頷いた。倒れる時にぶつけたらしい、腰が痛かった。まぶしさはなくならない。わざとそうしているのだ、と気づき、ロイは男を見上げた。 見えにくい空気の固まりを。 見えない軌跡で切り裂いた男は、素っ気なくサーベルを納めるところだった。きし、と何かが音をたてる。ロイはびくりと背中を揺らした。 「まだまだ、だな」 おかしそうに言った男が手を差し出してくる。そのまま切り裂かれそうに思えて、ロイはまた身体を緊張させる。毛を逆立てたようなロイに、男が笑う。もう何もしない、とも言わず。 警戒を見せるロイを、満足そうに見ていた。それで正しいのだという。怯えていて当然だというような視線だった。 ロイは唇を噛んだ。ぎゅっと差し出された手を取る。どうせ一人では立ち上がれない。せいぜい力をかけてやった。 「一発では意味がないだろう。相手がかわしたらどうするのかね」 ゆっくりと自分を落ち着かせるように、ロイは背中の土埃を叩く。 「そういう問題じゃない。結果じゃなくて、できるということがすでに結果なんだ」 「ふむ」 顎に手を当てて、男は「錬金術はわからんなあ」と実に穏やかに呟いた。戦闘で使えることに価値を感じているようである。 ロイは少し不満を感じ、眉間に眉を寄せる。だいたい、錬金術というのは実用よりも研究に重きが置かれている。地道な進歩がその真価というものだ。 しかし、言えない。負けておいて言い訳はみっともない。 「まあ、そう拗ねるものではない」 はははと笑って、男はざりざり土をならし始めた。使い終われば錬成陣は、地面に描かれた巨大な落書きだ。庭師に迷惑をかけるわにもいかず、ロイもざりざり足で消し始める。 「拗ねてないけど」 「役に立たぬことはないだろうな」 「あんたは除外してって話?」 「まあ、そうなる」 すんなりと頷く。たいそう言葉の通りです、とロイは息を吐いた。 「……子供相手に本気になるなんて、ちょっと大人げないですよ」 自分を子供だと思っているわけではないので、ただの負け惜しみだ。わかっていながら言った。そのくらい、受け止める余裕はあるだろう。 「子供に、本気でなくてどうするね?」 足を止めて、ロイは目を点にした。 「はあ」 「子供に負ける気はないねえ。どうせ我々は先に死ぬ。負けてやる義理はなかろう」 くっと唇を歪めて笑ったが、本気で言っているようだ。ロイはしばらく男の顔を見てから「大人げない」と返した。 「なら、大人になったら負けるんですか」 「私に歯向かえるくらいでなければ、大人とは認められんが」 笑う。とてもそうはできないと、思っていそうな顔だった。挑発している。案外、根に持っているのかもしれないとロイは思った。だいたい本気を求めたのはロイだ。聡く男は気づいていたのだろうか。 (さあ……) わからない。 そのわからなさが、まだまだだ、というのだろう。 「まあ、成長しなさい。それが楽しみだ」 にこにこと男は、最後の線をかき消した。育つのが楽しみなのか、育てるのが楽しみなのか。曖昧に微妙なことをロイは考えたが、息を吐いて肩をすくめた。 「できるだけ」 「がんばりたまえ。……ああ、そうだ」 「ん?」 見上げると、頭を撫でられた。悔しくとも逆らえなくなっているロイに笑いかける。 「おかえり」 少しだけためらってから、ロイも答えた。 「ただいま」 まだ彼の、懐の中にいるのは違いない。 |