今日は転入生が来る。
 それがガキだとか錬金術師だとか、あるいは金持ちの息子だとかかわいい女の子だとか。噂が飛び交ったのは、もう一ヶ月も前のことだった。だから寮の相部屋にその転入生が来るときいた時には「ああ、それか」と思い出すのに時間がかかったほどだ。
 まあ、実物は凡庸としたものに違いない。実際にエリートで錬金術師でガキらしいのだが。ヒューズとしては気の弱い奴か、あるいは不真面目であればいいなあ、と思うばかりだ。教師達に「人望が厚い」と評されるヒューズは、実のところその人望を使って裏で好き勝手している。邪魔はされたくない。
(あー、そうか。そのせいだろうな)
 不慣れで年下の転入生を、目立つ奴に任せて馴染ませようとの策略だろう。部屋を一人で使っているせいもあるか。これは単に、同室の男が女をつくって退学しただけのことなのだが。入学して半年。なんとも手の早い奴であった。
 堅苦しい授業から解放され、欠伸をしながらヒューズは部屋に向かった。クラスが違うので、まだ顔を見ていない。話では挨拶だけで帰ったそうだ。妙に女子うけがよかったが、この年頃の女子はちっちゃいものを見るとだいたい「かわいい!」という。軍隊志願の女子でもそうだったらしい。
(眠ぃ)
 まったく気を抜いた調子で部屋を覗きこむ。適当に挨拶を済ませて寝たいところだ。昨日は悪友どもと町に繰り出したのだが、一人が行方不明になって帰宅が遅れたのだ。
「あ」
 中にいた、それらしいのと目があった。大きな目だ。それに少したじろいだ。それはそうで年下なのだ。けれど数秒後には静かな瞳になり、錯覚だったかとヒューズはまぶたを擦った。
 眠いのだ。
「やあ」
 しかし眠気は、次の瞬間に飛んだ。今度疑ったのは耳だ。年下の転校生がする挨拶ではないだろう。2,3歳とはいえ、この年頃の少年には重大な差だ。
「……あ?」
 ヒューズは思わず、アホのような返事をしていた。すると相手は確実に子馬鹿にした顔をする。
「挨拶だ。マース・ヒューズ君?」
「…………」
 生意気だと怒るよりも先に「なんだこりゃ?」とヒューズは思った。どうにも曲がった顔で返事を考え、適当な言葉を告げる。
「いかにも」
「いかにも?」
 何がおかしいのか彼は笑った。自分の方がよほどおかしい、ということを理解していないようだ。
「あー。ロイ・マスタング君?」
「そう。以後よろしく」
 むちゃくちゃ変なのが来たな、と思いつつ、ヒューズは手を握った。遠慮するたちではないのだが、もうどこから突っ込んでいいのやらわからない。とりあえず、ヒューズは簡単に言った。
「変な奴だな」
 嫌な顔をすると思えば、そうでもない。彼は実に深く頷いた。
「そうらしい。偉そうだといわれる」
「ああ、それもそうだけどな。なんというかな……変だぜ。雰囲気が」
「それは初めてかもしれない。ご忠告ありがとう」
 にこ、と笑った。そうするとしっかり子供の顔になる。意味不明だが、礼も言えるようだ。ただのエリートぶった子供ではないらしい。仕草がまた、妙に板についているし。
 しかし対応に困る。
「忠告っていうかなあ……片付けてんのか?」
「見ればわかるだろう?」
 ダンボールを開けながら、とてもにこやかにロイが言う。少しだけ腹が立ったが、まあ、細かいことだという気になった。悪気もないようだ。しかし本気で馬鹿にしてくれているのは、これはどうしたらいいのか。
 ヒューズは悪友の親玉に祭り上げられてはいるが、喧嘩早いわけではない。それよりも要領がいい。頭もいい。ついでに真面目でもない。そういう理由だ。だから今も怒るよりも先に、コレをおもしろがる気持ちが湧き上がってしまった。
 ふと、思う。
(正解だったのか?)
 コレが他の奴と相部屋になれば、どう考えても一日目で血祭りだ。軍隊に入ろうなんて奴が、それほど穏便ではない。
(というか)
 コレが軍に入ろうというのが、そもそも間違っている気がした。
「……手伝ってやろうか?」
 ヒューズが考えている間、ロイはすっかり彼の存在を忘れたように片付けている。ダンボールは二つ。それはどちらも本で詰まっているようだった。一人で運ぶのはやや辛いだろう。
「んー……」
 親切にもロイは微妙な表情を見せ、ヒューズを伺った。どうにも嫌な目つきだ。それだけが気になって、ヒューズは顔を顰める。
「そういう目で見んの、やめろ」
「そういう?」
「それ」
 きょとんとヒューズを見ているロイに、つかつかと近づいた。顎をぐっと握る。上向かせて目を見つめた。
「これ」
 瞼をつつく。どうするかと楽しみな気がしたのだが、ロイは特に脅えた様子はなかった。不思議にヒューズを見上げている。わかってねえだろうなあ、とヒューズは思った。
 しかし説明できそうにない。難しい顔をしていると、ふと、ロイが表情を緩めた。
「わかった。わからないが」
「……どっちだ」
「言ってくれればそのうちわかる」
「そのうちかよ」
「説明できないんじゃ、責められるいわれはないだろ」
 笑った顔は強烈に生意気なものだった。だが馬鹿にされた気はしない。変な奴だ、といつのまにか引き離された指を見た。見たことのないタイプであることは違いない。あるいは、世界で一人かもしれない。
「で」
 ヒューズは目を細めて言った。
「手伝い。必要なのか、いらねえのか?」
「ああ」
 ぽん、と音が出そうな笑顔だった。なかなか表情豊かだ。けれどどれも偉そうなのは、これはどういうことか。笑える。
 ヒューズもまた、生意気といわれ慣れている。親近感かもしれない。
「いる。……それとマース・ヒューズ君」
「嫌味ったらしい呼び方だ」
「ヒューズ。ところで私と友達にならないか?」
 ちょっと眩暈がした。
「なんだそりゃ」
「いや、実は困ってたんだ。君は役に立ちそうだから」
「だからなんだそりゃ」
「何しろ私は、変だし」
 自覚があるなら大人しくしててください、とヒューズは思った。間違っても取引を持ち掛けるような顔で友人を募集してはいけない。
 それにしても子供が「私」はいかがなものか。軍隊じゃあるまいし。
(……いや、軍か)
 自分の頭までアホになりかかっている。これはいけない。これと付き合うともっと馬鹿になりそうだ。
「変だと色々大変だろう」
「……そりゃ、大変だろう」
 まともに卒業できるとは思わない。捨てたような発言に、ロイが軽く眉をあげた。初めて少しだけ頼りない顔だ。おや、とヒューズは思った。
「とりあえず友達になれば問題ないといわれたんだがな。うん、いや。ダメなんだったらいい。手間をかけたな」
 もしかして頼られていたのだろうか。
「あのな」
 頭を押さえながらヒューズが言った。
「つまり何か、今のは。守ってくれって話か?」
 と、ロイが嫌な顔をした。それはもう嫌な顔だ。誰が、とか言い出しそうだった。言わなかったのは、これは遠慮なのだろうか。とてもそんなことをしそうにない。きっと時間の無駄だと思ったのだろう。
 なんとなくヒューズはそう思った。変ながら、なんとなくわかってきた。感情表現は素直な奴らしい。
「違う。協定を結ぼうってことだ」
「……協定? そりゃ、つまり俺にも見かえりがあるってことか」
「話が早い」
 本当に感心したようだった。そりゃどうも、と答えておく。
「私は普段ははっきりいって役に立たないが。なぜかというと、あんまりどかんどかんとやると校舎がふっとぶし退校になりそうだからな。だが、ここ一番という時には校舎をふっとばすくらいのことはできるぞ?」
 真面目だ。ヒューズはひく、と唇をひきつらせながら相手を見た。嘘を言っている目ではない。というより、どうも本当でないか、と思えてきてしまった。
 しかし、だ。取引となればヒューズも甘く品を与えてやる気はない。こういうものはきちんとフェアに、取捨選択をしなければならない。悪友の親玉に祭り上げられているだけあって、ヒューズも一筋縄でいく性質ではない。
「話にならないな」
「そうか?」
 ロイもまた、揺らぎもせずに問いかえした。これは変なものだが、甘くは見れないな、とヒューズは思う。肝が据わっているようだ。変な方向に、だが。
「まず第一に、俺は今まで困ったことはない。自分でなんとか切りぬけてきたし、これからもそうだ」
「そうとは限らないだろう」
「限らなかったとしても、だ。おまえみたいな変なのは、はっきりいって目をつけられっぱなしと推測する。そんな相手に関わっているより、ずいぶんマシだと思わないか?」
「……ふむ」
 動揺を見せず、しずかにロイは顎に手を当てた。まったく他人事のような奴だ。
「たしかに理論的だ」
「だろ? ってわけで、その話にはのれない。まあ、目の前で絡まれてたら、気が向いたら助けてやらねえでもないが」
「ヒューズ。なら、何か必要なものは?」
 まったく必死さがない。ロイはただ条件を問い掛ける調子だ。そこが気に入らないのか、とヒューズは思った。
 見かけは子供だ。助けてくれといったら、助けてやらなくもないだろう。ヒューズは、実は結構人情に弱い自分を知っていた。しかし、どうみてもロイはそんなタイプではない。そのくせ、助けは必要らしい。
 実に変、である。
「……特にねえな」
「学生が欲しがるものといったら、金と自由な時間では?」
「残念。両方あるな」
「あとは教師の評価か」
「それもある」
「ふむ」
 また、姿に似つかわしくない仕草をする。大人だってそんな偉そうにはしない、という調子だ。
「仕方ない。なら、この話は」
「ロイ。どこまで出す気がある?」
「……どこまで?」
 問いかけると、わからない、というように首を傾げた。
「俺にどれだけの価値があるか、って聞いてんだよ。おまえ錬金術師なんだろう。そっちから必要ないんじゃねえのか?」
「いや」
 ロイは苦く顔を顰めた。
「ここでは上手くやろうと思ってるんだ。何しろ私は敵を作りやすいからな」
「そうだろうな」
「だろう?」
 素直に頷いている。その辺が問題じゃないのか、とヒューズは思った。
「まあ、燃やしてやらんでもないんだが、それはそれで根本的解決にはならないだろう。逆に報復で、また時間が費やされる。せっかく学校と名のつくものに来たんだ。勉学に集中したい」
 ヒューズは言葉を聞きながら、ロイの瞳を伺った。考えつつ話しているせいか、ふ、と瞳が細められ、開いた。嘘ではないだろう。
「……いいか、ロイ」
 呼びかけると顔をあげる。真摯さはないが、それが性格というものなのだろう。意識的にやっているとは思わない。そう、できないのだ。
「ここは学校だ」
「知ってる」
「卒業したら階級なり家柄なり、不平等は山ほどだ。けどな、ここではそうじゃない。ここにいる時くらいはな、俺は本気の代価にしか、本気の働きをしたくねえ」
「……理解できる」
 す、とロイが瞳をそらした。既に別の手段を考えているようだった。ヒューズは指先を彼の顎に触れさせ、自分に向かせる。
「本気のものが払えるか、ロイ・マスタング? 金でもコネでも物でもない、正当な対価だ」
 ふと見張る。意味を飲み込んで、苦々しく思ったのだろう。唇を噛み、ロイは肩を竦めた。
「……難しいことを言うな」
「力には力、誠意には誠意だ」
「原始的だ」
 口元に笑みが刻まれ、ロイは指先で乾いた唇をなぞった。爪を噛む。かと思えば、そんな自分に驚いている。
 面白い人材には違いないが。
 ヒューズは言葉のとおり、何も返さない相手と取引をするつもりはなかった。
「……できるだけのことをしよう」
「そうか」
 曖昧な表現だったが、ヒューズは笑った。ためらいが真実を現している。それでよかった。
「ただ、私が欲しいのは時間だ。学ぶ時間。絡まれる以上にそれを減らされるのなら、本末転倒だ」
「わかってるさ」
「なら、いい」
 手招きをされた。これはかなりまた大きな態度だったが、気にしないことにする。対価を支払うと言うなら対等だ。寛容でいられるうちは許しておく。
「証拠に」
 耳元で囁きが聞こえて、唇が重なった。妙に慣れた唇だった。一瞬驚いてから、まあ、いいかとヒューズは思った。そういう意味を込めたわけではなかったのだが。
 そうだと誤解してもおかしくないほどには、ロイは線が細い。だいたいこんなでかい態度で口付けられても、貰えるものは貰っておこう、以上の気にならなかった。どうせ相手も変な奴だ。構うことはない。
 しかし甘い口付けに、ふと、嫌な予感がしていた。