「ああ、大佐。来週までにアルバムを用意しておいてください」
「は? アルバム?」
 机の中のがらくたを鞄に流しこみ、帰宅しようとしていたところだった。有能な中尉がさらりと言うので、何かの専門用語かと思った。
「アルバムです。できる限り小さい頃のものが望ましいそうです」
「小さい頃?」
 素行調査でもするのだろうか。今更?
「東部通信に載せるそうなので」
「待ちたまえ」
 ロイは頭に片手をやり、もう片手を机に乗せた。自分もその一員だとわかってはいるが、どうもここはアットホームにすぎるのではないだろうか。
「なんだってこの私が、そんな俗な配布物に関わらねばならん」
「大佐。あれは俗な配布物ですが、軍の正式な広報活動として認められています」
 それを認めたのは誰でしょうね、と彼女は言わなかった。その分視線で理解させられる。
「つまりは彼らも仕事として行っています。上官が手間をかけさせるのはいかがかと思いますが」
「……わかったよ。なんだって?」
「上官の小さい頃特集ですが」
「わかった。納得した」
 くらくらしながら頭を叩く。認めたのは確かに自分だったが、周り回ってこうなるとは思わなかった。ロイ的にはただ、一回目の男性士官人気投票が見たいだけだったのだ。それはばっちり、望みの通りの結末だったが。
 目の前のことに騙されて、安易に頷いてはならない。
「今度持ってこよう。若い頃、な」
 学生証の写真でも持ってくれば良いだろう。そう思ったロイを、確実に理解している中尉がくぎをさす。
「十歳以下でないと認められないそうです」
「……わかった」
 とりあえず今は、ごちゃごちゃと話す気はない。さっさと家に帰りたいのだ。
「大佐」
 いそいそと背中を向けると、いつもと変わりない声がかかった。それでも何かを感じてロイは振り向く。少しだけ視線の位置が曖昧に、彼女が問う。
「近頃は早くお帰りですね。デートでもないのでしょう」
 さすがにわかっている、とロイは苦笑した。元々、騙しきれるとは思っていない。……多少の嘘では。
「へえ、また、どうして」
「時間を気にせずに仕事をしてらっしゃいました。まるで一秒でも早く会いたいと、そんなご様子です」
 ちらりと上げた視線が絡む。女性はこんな時に怖いな、と思う。男は女の視線に勝てないようにできているに違いない。それが魅力的ではあるのだが。
「……大きなペットを飼ってるんだ」
 ロイは意味深に笑って見せた。
「それは珍しいことです」
「しばらく構い倒そうかと思ってな」
「無駄な心配でしょうが」
「うん?」
「身辺にお気をつけ下さい」
 本当に良くできた部下だと思う。確かに今まで、ロイが家に女性を連れかえり、そのまま住まわせたことはない。けれども同じ男であれば、臭わせるだけで含み笑いを漏らしただろうに。
 ましてや今は、自暴自棄になろうと許されそうなものだ。親友を亡くしたあとでは。
「大丈夫だ」
 ひらりと手を振って、背中を向けた。
「身元はちゃんとしたペットだよ」



 軍から与えられた私邸は、さすがに司令部からそう遠くない場所にある。ただし危険分散のため、全く傍にあるわけではない。仕事が忙しい時には、帰宅するのが面倒になるくらいの距離がある。
 市街の裏道を、ロイは急ぎ足に歩いた。これからデートかい、と数人に呼びかけられる。これからデートなの、と悲しそうな女性にも呼びかけられた。それにはロイはできるだけ足を止め、にこやかに残念な顔を器用につくった。
 結局、いつもの時間で自宅に辿り付く。鍵を取り出すのもじれったく、らしくない強引な動作で鍵穴にさす。
 すると、扉が内側から開いた。
「よ、おかえ、」
 そこで唇を閉じさせた。てのひらをぎゅうと口に押し付けられて、相手が目を丸くする。ざらりとした髭の感触があって、ロイも顔を顰めた。
 ぐいぐいと奥に押しやり、扉に鍵をかける。ようやく手を離して息をついた。
「……でてくるな、と言っただろう」
 するといつもの、相手にするのも面倒になる笑顔だ。ことの深刻さがわかっているのだろうか。
「出迎えに来てやったんじゃねえか。寂しいマスタング大佐のために」
「いらん」
「それは冷たい」
「触るな!」
 顎に触れかけた手がためらい、離れた。静かな瞳が見かえしているのに気づいて、ロイは溜息をついた。
 できた距離をみやって、冷静な言葉を吐く。
「……悪かった」
「いや?」
「誰にも見られるわけにはいかないんだ」
 わかってるさ、と彼が言った。同時に伸びてきた手が頭を撫でる。昔であればいくらでも、何度でも振り払った手だ。しかしそれができないでいる。一度は失ったものを、そんなことができるはずがなかった。
 それをどこか悲しげに、彼が見ている。
「だから、頼むから、気をつけてくれ」
 ほとんど泣き落としのようなロイの声に、彼が顔を顰めた。わしわしと大きな手のひらが頭をかきまわしていく。しっかりした、現実に存在するその手だ。新しい命を育てあげてきた手だ。
「わかってるさ」
 子供にするように、仕方なさそうに笑った。ロイはそれでも安心できず、同じ言葉を繰り返す。
「頼むから気をつけてくれ……ヒューズ」
 恐ろしい場所から戻ってきた男は、いつもの、どこか斜に構えた仕草で肩を竦めた。ロイが覚える生前のまま、その命を存在させている。
 ロイ自身、どうして成功したのかわからなかった。
 鋼の錬金術師は若いとはいえ天才だった。それに劣るとは思わないが、まったく勝っているとも思えない。それも自制を失っていたロイが、どうして無傷で人体練成を成功させたのか。
 イメージも理論も、錬成陣すら覚えていない。ひどい混乱の中だった。それでいて、頭の端は冷え、そんな馬鹿なことを思いついたのだ。本当に、どうやったのか覚えていない。それは幸いなのだろう。
 あるいは自分自身で、忘れ去ろうとしたのかもしれない。鋼の錬金術師が言うように、それはやってはならないことなのだから。軍の規律も、たまには正解を出す。それだけはやってはいけなかった。
 ただ、後悔はしていない。
「わかってるよ」
 ぬくもりのあるてのひらが離れる。ヒューズが笑った。
「ここから出るな、顔を出すなというんだろう。俺にしては充分、大人しくしてると思うがねえ」
「……玄関先に出てきた奴の台詞か」
「そのくらい退屈なんだ、ロイ」
 首を振って部屋に入ると、ロイは上着を脱ぎ落とした。放り投げた仕草が、未だ不快を残している。人のこと、それもこの男のことはうまく扱えない。だがそれに腹を立てられるほど、現実を感じてはいなかった。まだ、たまに不思議になる。
 どうしてここにいるのか。
 嫌な気分になりかけたロイは、椅子に腰掛けて足を組んだ。余裕ぶった軽口をかける。
「単に、会いたいと言ったらどうだ。エリシアちゃんに?」
 けれどその次には、笑っているのがおかしいのだと思い出した。いつだって彼の家族の話題では、自分は渋面ばかりだった。なにしろ、うざったいので。
 しかし心配もいらない。にーっとヒューズが笑った。
「まったくだ。おまえ、次の休暇には写真撮ってきてもらうからな」
「……アホ」
 どうにも緩んだ顔に呆れてみせる。ようやく自分らしい反応を返せた気がして、ロイはほっとした。いくらヒューズが戻ってきても、自分が自分でないのなら意味がない。何も変わらなかったのだと。
 そう、思いたかった。
「アホたぁなんだ。会うなつってんのはお前だろうが」
「そのくらいの恩は返してくれても良いだろ」
 危険をおかして人体錬成を行ったのだ。言ったあとにひやりとしたが、ヒューズはいつもの態度で向かいに腰掛けた。
「ま、わからんでもないけどな。お前さんの立場はともかく」
「……ああ。特に今のところ、犯人は絞れていないが」
 少し言い辛かった。目の前に生きている相手が、殺されたことについてだ。
「俺が戻ってきたと知ったら、家族にも害が及ぶ。わかってるぜ、ちゃんと」
 ちっともわかってなさそうなヒューズに、軽く視線を向けた。本当に、大丈夫だろうか。ロイは必ずしも、彼の家族のことだけを心配しているわけでもなかったが。そんなことは考えないようにする。
 罪悪感などは持ちたくない。ただ平凡に、普通に、いつものようにいたかった。それだけだ。
「けど俺は、何を見たんだろうな?」
 ヒューズが首を傾げる。そんなことはロイにもわからなかった。どういうわけか、彼は寸前の記憶を喪失している。アルフォンス・エルリックは失敗した錬成の記憶までを持っており、それだけがロイの術の不備だった。
 犯人を探し出すためには、重要なところではある。かまわない、とロイは思う。そんなことは問題ではない。生きて帰って来た彼を離れ、犯人を探しまわる気にはなれなかった。
 幸いだったのは、ヒューズが自分が死んだことを理解していることだった。これがなければ、よほど説得に苦労しただろう。もっとも理論上は、わけのわからないことだった。
 自分が死んだことを、認識する。
「さあ、もしかすると」
 考えを押しこめながら、ロイは言った。
「もしかすると?」
「愛人と揉めたとか」
 それなりに自分の死因が気になってはいるらしい。ヒューズは肩を竦めた。
「お前と一緒にするなよ……」
「失礼な」
 ロイは眉をあげて言葉を返す。
「私はここ数年、女性と揉めたことはない!」
「いや、それもどーかと思うけどな」
「何が」
 伸びてきた手が頬に触れた。からかう表情にちらりと視線を合わせ、ロイは顔を顰めて見せた。顔が近づき、ひねくれた唇が忠告めいた言葉を吐く。
「ちっとは真面目に付き合ったらどうだ?」
 唇が重ねられ、数秒だけ返答を封じ込められた。手の甲で唇を拭う。
「……行動に見合ったことを言え」



 あ、と声をあげる。昼寝ばかりしているのか、ちっとも眠そうではないヒューズがすぐに視線を向けてきた。無精髭と、その下の喉元から目をそらす。
 ひどい痕を残す噛み癖、というのは。最近ロイに現われてきたものだ。一度亡くしてしまったものが現われ、また失う恐怖を表しているようで、どうもいけない。情けない話だ。
 もしかすると、ずっとそうしたかったのかもしれない。それはもっと情けない。
「忘れてた」
「なんだ、宿題か?」
 からかって子供扱いする男を、帰したくないと思っただとか。
(ありえない)
 こうして寝所を共にしても、話すのは下らないことばかりだった。甘さはない。ロイはそれで充分だった。自分が何を必要としているのか、失いたくないのか。実際のところわかっていない。
 ただ、どちらかといえば薄情な自分が、共にいない相手を切り捨てるのは確かだ。そのための楔なのかもしれない。
「アルバム持って来い、と」
 既に時刻は深夜を越えようとしている。ただでさえ睡眠の少ないロイのことで、今から動き出すのは億劫だった。無気力に横たわった寝台から、どうにも離れられずにいる。
 このまま眠れば風邪をひくだろうか。仕事に差し支えるのは困る。けれど、傍にこの男がいるのだ。いくら気の利かない男でも、毛布のひとつくらいかけてくれるに違いない。恐らく。
「アルバム?」
「東部通信に載せるんだと」
「……お前さんとこは実に楽しそうだな」
「私もそう思うが」
 枕に頬ずりする。何を考えたのか、ヒューズの指先がロイの髪を梳いた。なんとも無骨なやり方で、この男はどうやって妻を得たのだろうと考えている。
 そういうところがいいのだ、と言いそうに幸せな家庭だ。そのうちすべてが解決したら、家族と遠い場所にいくといいだろう。田舎の。そこでまた退屈になった男に、休暇を使って会いにいく。
 ぼんやりと眠気を感じている中では、問題は感じない。とてもいい考えに思えた。面倒なことは考えたくない。
「どうせ昼は暇だ。探しとくか?」
「……んー。いや」
 思い出し、ぱちんと目を開いて首を振った。
「なんだ、見られてまずいものでもあんのか?」
 強く拒否しすぎたせいで、興味を持たれてしまったようだ。失敗だ、とロイは顔を顰めた。別に、子供時代の写真を見られようと構いはしないが。
 しばらくからかわれるに違いない。古今東西、小さな頃の写真は悪友に見せてはいけない。
「ない、が」
「探しといてやるよ」
 にや、と笑ったヒューズはどうみても理解している。実に卑怯だと思った。せめての仕返しに溜息をつく。
「人間、退屈だとろくなことがない」
「そりゃあな。あれだ、錬金術で周りの奴らから、俺が死んだ記憶を消す、とかできねえのか?」
「無理だ」
 ほとんど眠りに入りこみながら、ロイはとつとつと呟く。感情的な言葉よりも、理論は寝言でも綴れるほど慣れている。
「理解しなければ弄れない。他人の精神はなかなか理解できないだろう。できるとすれば自分の精神だろうが……それにしたって難しいところだ」
 へえ、と聞いておいてつまらなさそうな声が返る。いつものヒューズの様子に、薄く唇を歪めて笑った。