ダメな大人でも図体はでかい。 抱き枕よろしく抱きしめられながら思った。ここまでくると諦めが大きい。相手は子供なのだから、好きにさせてやる気にもなるものである。 端から見れば、エドの方が甘えた子供なのだろうが。構わない。理想と現実は違うものなのだ。矛盾は不幸とは限らない。冷えすぎた大人が体温を求めるのに、都合の良い理屈であればいい。 溜息をつく。 (だってさ、氷みたい) 青い顔をして目を伏せた彼は、一歩間違うと死人だろう。呼吸がひどく静かなものだから尚更だ。もっと馬鹿みたいに寝言でも言えばいいのに。深く眠りこんで、ここに居たくないようだった。 それでも起こさないように気をつけて、エドは頬に手を伸ばした。信じ難く冷たい。やはりひっぱたいておくべきだったのだ、と思った。そうすれば多少は血行が良くなっただろう。 思いついて冷たい右手で頬に触れてみた。ロイは反応しない。似たような温度だから、ひんやりとした感触などはないのだろう。 焔の大佐がベッドの中で凍死なんて、笑える。 だいたいまだ死んでもらっても困るのだ。エドは顔を顰め、左手を伸ばして背中を抱きしめようとした。 「……」 届かない。 ムカついた。それというのも長いだけの腕が、強引に抱きしめているからだ。くるみこまれたような姿勢で、腕が延ばし辛い。 これはいけない、とエドはむいむいと手を伸ばした。うざったく感じたのか、腕の力が強まる。ぐ、と息を吐き出すと吸えなくなった。それこそ窒息だ。本気で暴れ出すと、ぼんやりとロイが目を開いた。 「……おい」 やや腕が緩んだ中、状況を訴えてみる。ロイはじいっとエドを見たあとで、 へらりと笑った。 「いいこいいこ……」 唖然としているエドの頭が、わしゃわしゃと撫でられる。ぼけぼけと乱雑な行動をしたロイは、すう、と吸いこまれるようにまた目を閉じた。 数秒、言葉も出なかったエドが自分を取り戻す。起こすまいという気遣いなどはもちろんなく、ばたばたと暴れた。さすがに本気の力はこめなかったが、膝で腹を蹴りつけもする。 「おい、なんだそりゃ。起きろ!」 「うう……うるさい……」 迷惑そうに眉間に皺が寄ったが、馬鹿にされて黙っているエドではない。 「あんたな、百歩譲って俺は15だけどな、ガキにガキ扱いされる覚えはな、」 「……寒い」 ぎゅう。 「……」 切実に抱きしめられては何も言えなくなる。とにかく本音のわからない男だが、ここで嘘だったらもう本当に何もわからない。そう思ってしまった自分を、とりあえずエドは苦笑した。 冷たさは本物だ。どうして暖まらないのだろう。機械鎧なんてしていても、体温はそこまで下がっていない。かといって、ロイから冷たさが伝わってくることもない。 間に一枚、板があるようだった。抱きしめていても、このまま冷たくなるのかもしれない。 馬鹿らしい危惧を感じて、エドは彼の背中をさすった。うん、とロイが小さく声を漏らす。薄く瞳が開いた。けだるそうな唇が、あどけない言葉をつくる。 「……眠れないのか?」 自分に言われたのだと気付くまで、数秒かかった。呆れたことに心配しているつもりらしい。 「ああ、眠れない」 こんな冷たい相手が傍にいて、どうして眠れるだろう。 「夜更かしをしてるからだ、いつも」 「……こんな時間に眠れる方がおかしいと思うけど」 ロイは何も答えず、また目を閉じた。仕事が忙しかったのかもしれない、とエドは思った。一応は偉い人間なのだ。サボってばかりもいられないだろう。 「眠い」 寝てしまったかと思っていたロイが、また呟いた。瞳は開いていない。まどろみながら話しているようだ。 「……寝れば」 「寒い」 「はいはい」 背中をさする。ふ、と小さな息が漏れた。もうこれは朝までお守をしなければならないのだろうか。 「寒くないか?」 今度は明瞭な声が聞こえた。この人は二重人格かもしれない、とエドは思った。子供扱いしたいのか、されたいのか。きっとどちらもしたいのだろう。 欲張りなのだ。 ものすごく裏のないこともしたければ、ものすごく裏のあることもしたい。子供っぽい行動もしたければ、大人っぽくもありたい。それはつまり、とてつもなく子供なのではないだろうか。 「寒くないよ」 とにかく、寝ぼけた子供に逆らってもいけない。エドはできる限りの優しい声で言った。普通なら。いつもなら、からかわれそうなくらいの声だ。 「うん……そうか」 安心したようで頬が緩んだのがわかる。今度は甘えたいモードかな、と考え、耳元で聞いてみた。 「……今日、なんかあったか?」 ふる、と唇が揺れる。それから引き結んだのは、まるで拗ねたようだった。たまたま唇がロイの耳朶に触れ、ひどく冷たい。エドは指先で耳朶を包んでやった。暖まりようもないように思えたが。 「なにも」 舌足らずな答えに瞼が揺れる。どうしてかまつげの陰までが明確に見えた。今日は月が出ているのかもしれない。そう思ったが、窓を見ることはなかった。 まつげの、震え。繊細なラインを描いている。とても小さな部分なのだ。人間は、たとえようもなく複雑にできている。誰も作り得ないくらいに。 エドは思わず胸を押さえた。機械鎧の手は、自分の心音を感じ取らなかった。 「誰に会った?」 そんな手で触れることができず、冷たい頬に頬をすりよせた。ひんやりとしている。けれど堅くはなかった。やわらかすぎて食べてしまいたくなる。夕食がまだなのだ、とエドは思い出した。 空腹で考えてみれば、目前にある鼻だって嫌にかわいらしかった。噛みつきたい。 そんなことはしないが。 「ヒューズ」 思いきり眉根をよせてロイが言った。よほど嫌なことがあったようだった。もっとも、会うたびにそんなようなものらしい。あれではそうだろう、とエドも思った。子供は確かにかわいいが。かわいくはある、が。それに違いはないが。 まったくそうなのだが。 「また子供自慢でも、」 「いらないというのに」 割って入った言葉に、笑った。 「そうだなあ」 「私は子供なんて、つくらない」 「……うん?」 ぎゅっと背中に力がこもった。エドは言葉の意味を問いかけようとして、とても近すぎることに気づいた。このまま言葉をつげると、吐息が重なりそうだった。まるで息をしていないようなロイの唇でも。 エドは反射的にロイを押しやろうとして、やめた。自分から近づいたのだ。そんなことを、今更気付く方がどうかしている。 そう、頬が冷たい。 まだ冷たい。けれど言葉は近すぎて、いつ目を覚ますのだろう。些細な混乱があり、エドは少しだけ顔をずらした。 「子供、きらいか?」 「皆が煩い。子供なんて……」 「結婚、しねえの」 「誰を選べばいいんだ?」 あんまりな台詞に、呆れて表情を伺う。ロイはまだ眠りの狭間でひっかかっているようだった。まつげが揺れている。 まつげが。 「誰って」 揺れて、影を落としている。そのやわらかさ。呼吸はどこまでも静かで意味がない。眠る人形と銘打たれたような存在が、そこにある。瞼はふっくらと柔らかそうだった。まるで子供の。 そのくせ、冷たい。触れても触れても冷たいのだ。大人の、もう何もかもに冷めてしまったような色をする。 「大事な人いないの、大佐」 「みんな好きだよ。大事だ」 エドはなぜか切なくなっていた。この先に繋がる言葉が理解できた。近いから伝わってしまったのかもしれない。 「でも、みんな好きじゃないんだろう?」 「……」 唇が揺れただけで、ロイは何も言わなかった。眠ってしまったのか、今度こそ。エドはどこまでも冷たい耳朶を諦め、裸の胸に手をあてた。何か着せるべきだった、だろうか。そうかもしれない。 けれど、毛布の中はこんなにも暖かいのに。意味がない。 幸いにも上下する胸を見つけ出した。エドは目を閉じてそれを感じている。嘘みたいな上下だった。空気を汲み上げる。それだけなのだろうか? 「嘘つき」 肩を竦めてエドは呟く。それもまた、欲張りな話なのだ。大人のように上手く生きて、楽しく笑っているくせ、死にたい人間のようなことをする。とんでもなく、どこまでも、欲張りなのだ。 「なんで子供は、いらないわけ」 欲しがれば良い。たまにまったく要らないように見捨てて、それでも可愛がるのだろう。エドは近すぎる距離にぼんやりと思った。この男が見えないのは。 どこまでも、自分ですら、本当が見えていないに違いない。裏も表も、どちらかわからないのだ。両方欲しいのだ。 「あんた」 頬はまだ青かった。こくんと喉を鳴らしたのがわかる。ゆるんだ表情はどこまでも溶けていきそうだった。 「子供だな」 けれど胸は温かかったから、血が流れていないことはないのだろう。届いていないだけだ。温度もまた。エドは溜息をついて頬を叩いた。どこまでも我侭を言うのだったら仕方がない。一部くらい、暖めてやらなければ気が済まないではないか。 こんなわけのわからないものは、大嫌いだ。 エドはそう思いながら、そっと唇を近づけた。冷えて暖かい。錬金術師は不安定なものが落ちつかない。捕まえて錬成したくなってしまう。しっかりした存在になって初めて、意味があったりするじゃないか。 「……ロイ」 呼びかけると、また間違えたのだろう。わかりやすい、慣れた仕草で引き寄せられる。まだ他人事みたいな舌を絡め、一心に暖めてやる。 予定外だったのは、手が腰にまでまわってきたことだ。寝ながら何をやっているのだろう、この男は。叩き落としてやろうとして、引き寄せられた腰がぶつかった。 「……」 エドはさすがに赤面した。青少年である。あまりリアルなもの、に触れたくはないものだった。 けれど熱かった、ので。 「ロイ」 まあいいかと思って、そろそろと手を触れさせてみた。ん、とロイが息を漏らす。唇が半開きになった。さきほどまで絡めていた舌が見えて、エドは思わず呼吸を止めた。何に驚いたのか、自分でもわからない。 ただ、たまらなくなった。 耐えるような表情にたまらず、急かすように手を動かしていた。稚拙な動きにロイが嫌な顔をする。気づいてエドは動きをゆるやかにした。しつこく、上下させる動きでロイが小さく声を漏らす。 「……」 何やってんだろ、と頭の端で思ったが、まつげが揺れているのだ。頬が少し赤くなっていた。大人の表情に、ちらりと子供の寝顔が浮かぶ。ぞくりとした。 どれだけ続けていたのかわからない。ふいに、ロイが背中を浮かす。起こしてしまったかと思えば、ひくり、と揺れた。手の中に吐き出されたものに、エドはかなりうろたえた。もうどうしようもなかった。 何も、どれもない。あたふたと、先刻はがしたシーツを拾い上げる。汚れを拭きとってから、実にやすらかな眠りに目を落とした。 少しだけ血色のよくなった顔が、やはりあどけない寝顔を見せている。 俺、病気でもうつったかな、とエドは本気で思った。なんか、おかしい。おかしすぎる。混乱の中、相手は目を覚まさない。そして眠る相手よりも上がった熱に困りきり、だからといって放って帰ることもできない。 「……畜生」 だから嫌いなのだ。大人ぶった子供などに関わるべきじゃない。心から後悔したが、既にそれは遅かったような気がした。 |