久々に良く寝た。もう力強い太陽に目を細めながら、ロイは身体を伸ばした。悪くない目覚めである。今日は久々の休暇で、知らない家にいれば呼び出しがかかることもない。まったりと食事をとって、都合のつく女性とデートにでも。 「……ん?」 穏やかな展望はそこで打ち切られた。とろんとした目を擦って、そこに落ちているものを確認する。ベッドの下、最初は脱ぎ捨てた服かと思ったが。 「ああ」 ぽん、と手を打った。どうやら戻ってきた男が、夢も希望もなくのたれ死にするところだったらしい。眠っているのかとも思ったが、目はうつろに開いている。 死なれても困る、とロイは親切にその肩を踏んだ。 「おい」 「……はう」 ずるずるとそれは床に倒れていった。しばらく見てから、ロイは欠伸をした。面倒くさい。とりあえずシャワーでも浴びてから考えよう。起きるまで生きていたのだから、出てくるまでも生きているに違いない。 適当に身につけた服を落としながら、どうやら浴室らしき場所をのぞき込む。タオルを確認してから入った。知らない蛇口というのは使い辛いものだが、ロイには慣れたものだ。何しろ色男なので。 「うん……眠い」 欠伸をしながら、まだ冷たい水を浴びた。少し背中に力が入る。まばたきをすると、まつげから水滴が落ちていった。やや張りつめた身体に、だんだんと暖まった湯が落ちる。息を吐くと空気が白くなった。 (とりあえず誰にするかな。花屋のエイミィと最近……、けど、都合がつかないだろうな。クレアが昼は空いてるだろうから……夜はどうするかな) とつとつと考え、丁寧に身体を流した。清潔は基本である。人の家だなどと気にもかけず、足の先まで意識を向けた。 「ん」 満足してから浴室を出る。タオルを引っ張り、足から拭った。振り向いて一応の確認をする。いくらロイでも、汚したり痕跡を残すのは本意ではなかった。 ほかほかと部屋に戻ると、床に落ちた服を身につけていく。ベッド下では、同じ姿のそれが腐っていた。まだ生きてはいるようだった。まだらな視線が、たまにまばたきしている。かと思えば、ぱちぱち、妙な勢いで動いた。 「生きてるか?」 聞いてみたが、変な目で見てくるだけだ。文句を言われなかったのを幸い、ロイはゆったりと衣服を正した。タオルを頭にかけ、礼くらいしておくか、という気になる。 このまま放っておいて、自殺されるのも寝覚めが悪い。このくらいで何を、とも思うが。 「借りるぞ」 気怠く首を回しながら、キッチンで茶をいれた。感謝して欲しいものだ。女性でもない相手に、どうして飲み物を用意しなければならないのか。だいたい、女性にでもしたくない。 あまり誉められたためしがないのだ。 それでも今日はまあ、目が覚めればいい。熱い茶をいれ、湯飲みをテーブルに置いた。どん、と音に反応して、男の目が動いた。 (えっと……誰だっけ?) 思い出すのにしばらくかかる。口元に手をやりながら呼びかけてみた。 「デイジー?」 は、たぶん女性だろう。そんな名前しか思いつかないあたり、我ながら男だと思った。 「デビーか?」 倒れたまつげが、しんどそうに動いた。唇はさらに緩慢に、わからないくらいに言葉を紡ぐ。聞こえはしなかったが、唇を読んだ。勘は悪くないのだ。 「ああ、デニーな。デニー。こっちに来ないか?」 ずび、と自分の茶をすする。暖かい空気に誘われたのか、ふらふらと起きあがってきた。まだ目は死んでいるが。暗いだけのものではなくなっていた。ロイに視線を向けている。 恨みだろうがなんだろうが、まあ、死んでいないのはいいことだ。 「ほれ」 湯飲みを押しやる。大人しく唇をつけた。流される男なんだろうなあ、とロイは評価した。頭が悪ければ出世はできないが、利用するには都合がいい。一応、名前くらい聞いておくかな、とロイは思った。 「おまえ、軍人だろう?」 それこそ犬のような目がじーっとロイを見て、こくりと頷いた。 「デニー・ブロッシュ軍曹」 「ふうん」 聞いたことはなかった。セントラルに来てしばらくも経っていないので、ほとんど聞いた名前はないのだ。ロイの名前はというと、既に広まりすぎて久しいが。 「とりあえず軍人ならしゃきっとしろ」 自分も普段はしていないことを、ちょっと強要してみた。するとデニーはしゃきりと背骨をのばす。お手をされたような気分で、ロイは満足した。 「で、言いたいことは」 「……あんた、もてるんでしょう」 「うん、まあ」 さらり。それは当然間違いない事実なので、否定したりしない。 「地位も名誉も金もあるし、顔も性格もいいからな」 デニーはややひきつった顔をしたが、何も言わなかった。よくある反応である。気を取り直そうとしたのか、ずび、と茶をすすっている。味もわかっていないのだろう、感想はなかった。 「だったら……、わざわざ俺のに手ぇ出すことないじゃないですかあ……」 情けない声だ。ロイはちょい、と眉をあげた。軍人らしくない。けれどしゃっきり背を伸ばした情けない男というのは、なかなか新鮮かもしれなかった。 「まあ、そうだな。しかし、わざわざ君のだからと避ける理由もない。女性は皆、かわいらしいものだし」 「……ひどいです。あんまりです。権力の……ええっと、横暴です」 「とりあえず涙を拭きたまえ。ほら」 ハンカチを下賜してみた。ぐしぐしとしながら「ありがとうございます」と聞こえたような気がした。ぶし、と鼻をかんでいる。なかなか基本に忠実だ。 まあ、男の涙を吸ったハンカチなど、はなから返してもらう気もないロイだった。 「俺はいったい、明日から何をかてに……ぶし、…生きていけば」 「まあ、普通に生きていけばいいんじゃないかあ?」 茶をすすりつつ、ロイはそう言った。かなりな他人事だ。デニーは自分に必死で気づきもしないのか、まだぶしぶしやっている。茶に鼻水が入りそうだなあ、とロイはしばし見守った。 「君にあった女性を見つければ良いだけだろう、たぶん」 いるかどうかは知らないが。 (いかん、眠くなってきたな) 風呂上がりのほかほかが、またいい具合に残った眠気を刺激している。軽く首を曲げてみたが、どうもいけない。 「んな簡単に……、行くわきゃないでしょうが……俺は、大佐とは違って、平々凡々で」 まだぐたぐた言っている、このリズムが眠気の波に乗せてくれる。ロイはこっそり欠伸をした。寝るわけにはいかない。この男はともかく、せっかくの休日にデートをしないでいつするのだ。 「まっとうな……平軍人なんですから……」 だいぶ意識が飛んだロイは、どうも自分のことを言われている気になってきた。欠伸をこらえて言葉にする。 「そんなことはないだろう。まず、顔はいいし、若いのにこの地位だし、口はうまいし、なにより愛がある、愛が」 「……はあ」 わからないながら、なんだか単純にも慰められた気になったらしい。デニーはやや顔を上向かせ、ロイを見た。 「そうですかねえ……」 「そうだろう……うん……。もてないほうがおかしいくらいだ」 幸いにも、というべきか。とりあえずロイに嘘をついている自覚はなかった。しかもロイは、寝ぼけ眼でもまともに見せる特技がある。あくなく告げられた言葉を、デニーは信用したようだ。犬の勘かもしれない。 「大佐にそう言われると、なんだか自信がつきます」 「……ああ、それは私は、大佐だから」 ほとんど繋がっていなかったが、デニーは大きく頷く。ぼんやりとしながらロイは、犬は権威に弱い、と思った。 「俺、がんばります」 少しましになった頭をくらくらさせながら、ロイはにこりと笑った。 「がんばりたまえ」 デニーはなぜか照れたような顔をして、こくりと頷いた。茶をすする。場の空気を和ませようとしたのか、ぽろりと呟いた。 「それにしてもうちのお茶、こんな微妙な味だったかな?」 あの、と声をかけると、ロイは気怠そうに「ん?」と視線を向けた。うわあ、とデニーは思う。彼にとっては雲の上の人である。あんなことがあったのが、多大に信じられないくらいだ。 場所は司令部前、大佐の執務室に邪魔する勇気のなかったデニーは、要するに出待ちをしていた。それはそれで失礼な気もしたが、他に手段が考えられなかった。 「……この間お借りした……えっと、ハンカチ」 「ああ」 軽く首を傾げてから、ロイは手を打った。思い出したようだ。 「別に良かったのに」 「いえ。その。それに、お詫びとお礼も」 有名店の菓子折と一緒に差し出すと、それはちょっと嬉しそうに受け取った。デニーはほっとした。この日のために、こっそり大佐の趣向を聞き回っただけのことはある。 「元気かね?」 当たり障りのない、上司らしい言葉を賜った。きっちり背筋を伸ばしながら、それでも、へら、とデニーは笑う。 「おかげさまで。あの、新しい彼女もできましたので」 「ふうん」 人の恋路を恨むほど、暇な男ではないのだろう。ロイはおかしそうに笑った。 「それは、お幸せに」 ぽん、とデニーの肩を叩いて通り過ぎていく。やっぱかっこいいなあ、とデニーは思った。かなり素直に、カリスマにやられてしまうタイプである。ちなみに、詐欺にひっかかった経験は多数。しかしいつになっても気づかないので、被害はないといってもいい。 ほえほえと見送ってから、デニーもデートにでかけた。さて。 その彼女を同じ相手に寝取られたのは、もう三日後のことだった。 |