夜勤でこき使われて家に帰ってみると、かわいい人が待っていた。
「……ただいま」
 ほええ、とデニーは疲れが吹き飛ぶのを感じた。仮眠室を遠慮して、わざわざ帰ってきたかいがある。いつもはつれない彼女だったが、やっぱり嫌われてはいないのだ。
「おかえりなさい」
 彼女はにこりと笑った。丁度、扉を開けようとする姿勢だった。
「あれ、なんで」
「あなたの足音くらい、どこにいても聞こえるのよ」
「ああ、ハニー」
 そのまま彼女を抱きしめた。自分は幸せものである。美人でナイスバディな彼女が、家で待っていてくれるのだ。
「あら、だめよ」
 そのまま部屋に入り込もううとすると、実にそそる仕草で身体を離された。そこで「いいじゃないか」と押し切れるほど、彼女に頭は上がらない。
「わたし、今から帰るの」
「え、もう?」
「ごめんなさいね、勝手に待ってて。わたし、あなたのことが心配で」
 照れくさそうに言う彼女からは、この家の石鹸の匂いがした。たまらなくぞくぞくする。ああ、どうしてもっと早く、帰ってこなかったのだろう。
「顔を見たら安心したわ。仕事に行かなきゃならないし」
「そう」
 ひらりと家を出ていく彼女を、心から切なく見送った。しかし胸にはぬくもりがある。愛されてる。愛されてるっていいなあ。
 幸せな眠りをも得ようとして、デニーは襟をはだけながらベッドに向かう。そして真顔になった。彼女が出ていった出口を、唖然と見る。それからまた、ベッドを見る。それを数度繰り返したあとで、くらくらと壁に体重をかけた。
 そして滑って頭を打った。
「……痛い」
 目が覚めたかと、もう一度ベッドを見た。しかし状況は変わらなかった。
 男が寝ている。



 寝付いたばかりのところを揺らされた。
「う……」
 まだ眠い。起こそうとする恋人を止めようとして、ロイは目は開かずに手を伸ばした。髪を撫でて引き寄せる。
「……ちょっとあんた!」
 と、おかしな反応だ。声も変だ。ぱちんと視界を確保してから、ロイは目の前のものに問いかけた。
「男?」
「そ、そうだよ……っ。あんた、リジーのっ、いったい……」
 もぞもぞ動いているものを、とりあえず離す。髪がえらいことになっていたが、それが似合うような顔だった。つまりはぼけぼけした顔だ。
「ちょっと、落ち着きなさい」
 欠伸をしながらロイはそう言った。よくあるわけでもないが、初めてともいえない状況である。それにしても浮気された男というものは、どうしてこうみっともないのだろう。堂々と構えていた方が、あとあと上手く行くと思うのだが。
 頭をとんとんと叩いて、昨日の彼女を思い出した。力に溢れた女性だった。あれを腕の中に納めておくには、確かに目の前の男では難しいな、と思う。
「……デニー?」
「な」
「っていう名前が君だったら、諦めた方がいい。彼女は君がつまらないのだそうだ。別れた方が君のためでもあると思うがね」
「あんたに何がわか、」
「他人の方がわかることもある。客観性というものだ。内側にいたら見えない。見えないから、彼女の気持ちもわからない」
 眠いので考えもせずに言うと、う、と「デニー」は黙った。眠気が消えそうで嫌だったのだが、一応起きあがってやる。ロイが裸でいることに、デニーはリアルな絶望を味わったようだ。
 柱に懐いている。
(変な男だ)
 案外、おもしろいのではないだろうか。彼女にとってつまらなかったというなら、それはどうしようもないことだが。
「私としても、君が帰る前に出ていくつもりだったんだが。昼頃になるというのでね。それは、お互いにとって不幸だったな」
「……間男の分際で……」
 柱に涙を押しつけつつ、潰れた声で言う。間男か、とロイは思った。悪くない響きである。
「先だろうと後だろうと、我々の立場は同じだと思うぞ。明確につきあっているわけじゃないそうだし」
 しくしく泣いている。ちょっとうざったくなってきた。ロイは欠伸をして、どうしたらこれを追い払えるだろうか、と考えた。まだ眠い。しかしここは男の家なのだろうから、居座るわけにもいかないだろう。
 一応の礼儀として、ロイはそこらに散らばった服をのそのそ着ることにした。男はしばらく立ち直りそうにない。
「まったく、女性にふられたくらいで」
「彼女は僕の太陽だったんだ……」
 もう罵る気力もないらしく、ぼそぼそ呟いている。太陽、とロイは呟き返した。やっぱり、なかなかおもしろいような気がした。今時太陽はちょっと言えない。
「世の中、女性も多ければ男も多い。その中から探すんだからな、間違うたびに落ち込んでもどうにもならん。次にいけ、次に」
「そうやってあんたが取るつもりなんだろ……そうだろ」
 うだうだ言いつつ、デニーが顔をあげた。涙のたまった目でロイを見たあと、あれ、と首を傾げる。
「あんたどっかで……」
「うん? 君は軍人か?」
「軍、って。……っは!」
 気づいたらしい。口を開けたままで止まってしまった相手を、ロイはまたしげしげと見る。軍人らしからぬ男だったが、どのくらいの地位なのだろう。セントラルに来てまだ数日で、見覚えはなかった。
 上着を羽織りながら考えていると、戻ってきた。
「……焔の……大佐……?」
「ああ、うん」
 職業外時間だがね、と返す。デニーはまた数秒停止したあとで、敬礼のような、フラダンスのような仕草をした。
「なんだね」
「……ご苦労様です」
「はあ」
「……なんで大佐殿がリジーと……リジーと」
 だいぶ混乱したようで、柱に頭を押しつけそうだ。これはいけない、とロイは思った。しかし一回ぶつけるくらい、観察しても大丈夫だろうか。
 考えてみたが、やはりよろしくない気がした。恋敵を傷つけるのは大人げない行為だ。身分がばれてしまったし、妙な話が出回るのはまずい。いや、女を取られたとかそういうのはいいんだが、全然。
「ところで、追いかけたらどうかな?」
 入り口を指さして言ってやると、ふらふら頭を動かした。
「こういう時こそチャンスかもしれないぞ。つまりあれだ、君と彼女の仲をはっきりさせる」
 焦点のおかしかった瞳が、だんだんとまともになってきた。単純な男だ、とロイは思った。悪くない。部下にいたらこき使えるに違いないと思った。
「行きたまえ」
 笑顔で言ってやると、キラキラした目で立ち上がった。ぐ、と親指をたてて見せると大きく頷く。そこらの椅子を蹴りつけながら、デニーは玄関まで走っていった。扉が叩きつけられる音を聞いて、またロイは欠伸をした。
(眠い)
 彼女は実に情熱的だった。そんなことを思い返し、わずかに口元を笑ませた。もぞもぞと布団をかぶって横になる。あの男が帰ってくるまで。
(まあ、一時間はありそうだ。仕事場も教えてないって言ってたから、見つからないと思うが)
 眠って目を覚まして、シャワーを浴びるくらいの時間があればいい。それはちょっと無理かな、と思いながら、ロイは目を閉じた。悪くない寝心地のベッドで、少しだけ彼女の思いつきに感謝したりした。