頚動脈くらいは掻き切れる。
 力なく男の首に腕を回し、ぼんやりとロイはそう思った。リングにはまった青い石は、ロイにも組成がわからない。話が出まわっていないということは、どこぞの錬金術師にでもつくらせたものか。実際、突飛なものをつくるのに、そう大したものはいらない。
 研究費も、身分も、大量の時間もいらない。自由な発想があればいいのだ。ただの錬金術師であろうとするなら、軍の狗になどなるべきでない。
 きらきらした、堅い石を見ながら。ロイは考えたことを申し訳なく思った。まさか武器として作り出したものではないだろう。純粋なものを前には、自分の醜さばかりを見るものだ。
「どうかしたかね?」
 ひどく勘の良い男が問いかけてくる。ロイは視線を向けてから、いえ、と答えた。どうせ気にしてはいないのだ。
 ベッドの上で。男がロイに身につけることを許したのは、ただ、そのひとつのリングだけだった。贈ったのは彼だ。執着めいた匂いがするが、決してそうではない。楽しんでいるだけだ。
(実際)
 そう若くもない男の裸を見て、何が楽しいのかと思うが。気に入られてしまったからには仕方ないではないか。断る理由も、権利も、気分も思いつかなかった。だから男はロイの身体を非常に丁寧に愛し、ロイはぼんやりとその男が腕の中にいることに酔った。
 貴重なものを腕にしている、に違いない。
 その男の首に、ささやかに尖った青い石を。きれいなものだった。純粋だからこそ、ということもある。赤い血はとても似合うだろう。
 そんな考えもわかりきっているのだろうが。
「お時間は」
 息を吐いて問いかける。皮の厚いてのひらが足に触れた。くすぐったく、逸らした背の角度さえ楽しむ視線がある。
「さて」
「捜索されますよ」
 呆れて言ってやると、にやりと唇を笑ませた。
「君に言われることじゃないな」
「……立場が違う」
「下の者にとっては、直属の上官も、遠くのトップもかわりあるまいよ」
 そう言われればその通りだ。無駄な言い訳はやめて、ロイは素直に吐き出すことにした。
「……しつこい」
 すると、それはもう愉快な顔をして笑う。鷹揚なのだ。まさか仕事中にまで、そんなことはないだろうが。ベッドの上ではロイが馬鹿らしくなるくらい、砕けた調子を愛している。
 まあ、そのくらいの利益があってもいいか、とも思う。いくら立場上、征服されているものだとしても。
 身体を明渡すのでは、まったく別問題なのだ。
「若いもんが情けない」
 楽しげに男が言う。ロイは苦笑した。若いからこそ、だ。年をとると男はしつこくなるというが、それはその通りだと思う。自らの欲に振りまわされなくなり、楽しむ余裕が生まれるというものだ。
(それにしても)
 どのくらいこうしているのか、ロイはぼんやり時計を見上げた。針は見えたが、時間を読み取れない。そのうちに目をてのひらで覆われた。
 無粋だ、ということらしい。
「リスクを回避してください。これ以上、ひっぱられると」
「ふむ?」
「殴り倒してしまうかもしれない」
 自棄くらいの気だるさで言うと、どのくらいの信憑性があったものか。男は低い声で笑って、ロイの背中に腕を回した。
「っ?」
 意外なほどの力強さで、くるりと視界が回転した。だらけていた身体を、自分の力で支えなくてはならなくなる。ロイは男の胸に腕をついて、わずかに上がった息を整えた。
「殴られるのは困るな」
「困るでしょう、ええ」
「部下にしつこく聞かれてしまう」
「それはもちろん」
「好きにしたまえ」
 まったく立場の違うことを言って笑う。ロイは複雑に唇を歪めたが、なにしろこのままでもいけない。突き動かすような欲求は既になかったが、腰に溜まった熱は、じりじりと内側を焼き尽くそうとしている。
 眠れない夜はごめんだ。
 両足をついて身体を揺らす。反応の薄い男を慰めるというのは、実に虚しい気分になるものだ。だというのに、どうしてこんなことを続けているのか。手に入れられたのはただ、価値のない青い石ばかりだ。
「ロイ」
 いつもの呼びかけに背を逸らす。ぞくりとした感覚にたまらず、するりと片手を男の首に回した。指にはまったリングが、石が、頚動脈に触れる。とくとくと脈すら伝わりそうだった。
 気付いていながら、男はひどく楽しげに笑うのだ。
「良い名前だ」



 だいたいこの相手でもなければ、何を見送ることがあるのだろう。一夜を過ごした男を。女性であれば、必ず家まで送らせていただくが。
「次から」
 男は嫌味なほど貫禄のある背中を見せている。空具合を仰いでいた、くつろいだ顔が振り向いた。
「共をお連れ下さい」
「ふむ」
 顎先に手が回る。伺う視線。それはもう、終わりということなのか、そういう問いかけだ。ロイは肩を竦めた。
「ここで待たせるといい。そうしたらあなたも、少しは急ぐだろうから」
 ふ、と息を漏らして男が笑った。どうせどちらでもいいのだろうが。あるいは存外、本当に気に入られているのだろうか。身体だけでも?
 男がロイの手を取り、指先に口付けた。これには驚いた。
「何をしてるんですか」
 呆れて言うと、悪戯な瞳が上向く。ロイが思わず額を押さえたのは、どうしてだっただろう。あるいは使われるのとのない凶器を、確認してみたのかもしれない。
「では、な」
 征服された気だるい身体を持って、ロイは彼を見送った。重すぎるリングを外す。征服すべき人がいなくなれば、これは必要ない。いつも、
 どちらが脅かされているものか。抱き合って征服されているのは。
(さて、ね)
 男はよくわかっている。等価交換。それは足したらゼロになるということだ。互いが同じ質量を持ちつづけている。足したら、完全に。
 消えてしまえるからこそ、ロイはそれを抗わない。