今頃、皆はどうしているのだろうなあ。

 と、ロイは海に沈む夕陽を見ながら思った。視線を下げると、きらきらしすぎた海がある。燃えるようなそこでしぶきをあげて、水泳を楽しむ男。彼よりも若いはずのロイは、ぐったりとパラソルの下で欠伸をするばかりである。
「だーいそうとうかっかー……」
 眠さに任せた呼びかけはへろっている。軍服を着ていればそうもいかないが、この場でどう呼ぼうとも勝手というものだ。完全なプライベート。お互いに休暇扱いのはずで、気にかけることではない。
 たとえその休暇が、男によって無理矢理もぎとられたものだとしても。
「飯、食いませんかー?」
 ばしゃばしゃと水面を動く手は止まらない。たくましい、きれいなフォームだった。そんなことに感心するほどの新鮮さも、既にないが。
「……食っちゃいますよー」
 気だるく、小さく呟いた。本当に、今頃、皆はどうしているだろう。仕事に追われていることは間違いない。「暇そうだから」という理由で、上官が連れ去られてしまっては。
 しかも相手が大総統となれば、文句もつけようがない。上層部は上層部で、大総統の休暇には護衛が必要で、焔の錬金術師が付き添いであれば、もろもろの不満はあっても問題はない。そういうことらしい。
(私が反逆したらどーする気なんだろうねえ)
 まあ、事務上の問題というか、なんというか。
 どうせあの大総統に、ロイがかなうわけはないのだ。実際のところ護衛は必要ない。しかし一人で出歩かせるわけにもいかない。
(大変だ)
 他人事のようにロイは思った。たとえば誰かの試験中に、あんなことで慌てた連中が理解できない。子供にやられるような男ではない。
 彼のとりあえずの心配は、休暇後にどれだけの仕事が積まれているか、ということだ。
(中尉がなんとか……無情に積み上げてそうだなあ……。サボったら殺されるくらいの量じゃないといいんだが)
 いっそこのまま、海の向こうに逃亡しようかと考えた。事態はそのくらい深刻だ。それこそ大統領を拉致して、のような考えも頭にちらりとあった。
 結局、無理なことはすまいと思うが。
(そっちも殺されるかなあ……)
 ぼんやりと思う。きっとそうだろう。許してもらえるほど、気をかけられているとは思わないのだ。自分もまた、縋りたいほど慕ってはいない。
 けれどまったくゼロではない。そこが問題だ。
「マスタング君」
 水面から顔を出して、男が手を振った。
「はあ」
「君も泳がんかね?」
 空気を震わせてくる声を、ロイは呆れて聞いた。優雅である。夕焼けに照らされた、実に切ない休暇のようで、溜息をつくしかない。
 何をやっているのやら。
「私は遠慮しときますよ」
「まだ暖かいが」
「それは運動してるからでしょう」
「若いもんが運動せんでどうする」
 大笑いした男は、それこそ若い力に溢れている。ロイがちょっとうんざりするくらいだった。この人につきあっていたら体力がもたない。このところはさっぱり、デスクワークに終始しているロイだ。
 多少ふとどき者が現われたところで、指ひとつで決着がつく。確かにだらけすぎかもしれない。
「ベルト穴が足りなくなる日も近いぞ」
 ははは、と笑いながら男が海を横切っていく。そう言われてみれば省みることがないでもなく、ロイは立ちあがって身体を伸ばした。
 中年太りはまずい。女性にそっぽ向かれることを考えると、おちおち寝ていられないロイだった。せっかく良い年になってきたのだ。渋い男の座を手に入れるためには努力を惜しむまい。
(実際)
 その、渋い男というのは目の前にいる気がした。
(……ちょっと違うか?)
 考えつつ、海に足を踏み入れる。昼のうちに照らされていたせいか、それほど冷たくはなかった。ここは南国だ。大総統閣下ともなれば、小島のプライベートビーチくらいは持っているものらしい。
 そういうことに興味はなかったが。権力の証と考えれば、悪いものでもない。
「マスタング君」
 ざぶざぶと泳いできた男が背中を叩いた。眼帯は外しているが、片目は常に閉じられている。
「じき、陽もくれる。向こうまで競争だ」
 言うなり別荘に向けて泳ぎ出している。ロイは一瞬それを見送ってから、夕陽の映る、きらびやかな水に身を躍らせた。



 塩の匂いが染みついている。ちりちりした身体をシャワーで流して、ロイは濡れた髪を拭う。後から出てきた男は、半裸で堂々と床を踏んだ。短い髪からは水が落ちてはいない。頭を振って払ったのだろう、とその無造作な動きが想像できるようだった。
 シャツ一枚を羽織って、ロイは暖まった身体でテーブルにつく。たった一往復だけで疲労していた。疲れている時、ロイはあまり食欲がわかない。匂いの強いシチューだけで吐き気がするくらいだった。
「いや、良い運動になった」
 一日中泳ぎ続けていた男が言う。けだるくテーブルに肘をつき、ロイはその様子を眺めた。
 温和な表情をしながら、身体はがっしりとしている。とても倍ほど年上には見えなかった。それを毎日の運動が支えているのだとしても、泳ぎつづける生活は嫌だな、とロイは思った。
 できればデート三昧でいたい。
「食べないのかね?」
 肩を竦める。半裸の男が向かいに腰掛けた。腰を曲げて力を抜いても、腹は引き締まったままだった。
 ロイはなんとなく悔しい気になる。相手と同じ年になったとき、どう考えてもその体型は保てない気がした。元々、武道派ではないのだ。兵器は動き回るものじゃない。動かされるものだ。
(まあ、でも)
 普通でいるときのこの男は、ちょっとした好々爺のようなものだ。ちょっと刺激がたりないな、とロイは思った。身体がたるんでも、自分の方がもてるだろう、などと思ったりする。
「ふむ。明日は山に行くつもりだったが」
 ロイの様子を眺めながら、男がテーブルからパンを取り上げた。齧る。その仕草は。
(……)
 好々爺には思えず、ロイはつい視線を逸らした。だいたい、こんな状況で比較することが間違っている。大総統閣下と、その連れだ。立場を考えればかなうものではなかった。……少なくとも、今のところ。
「マスタング君。山は嫌いかね?」
 不思議そうに男が呼びかける「いえ」とロイは答えた。
「山は危険です」
「ふむ。……まあ、危険だろうな、君には」
 視線が上から下に通過して、そんな言葉だ。むっとしてロイは顔をあげた。
「閣下。私は実際、あなたの護衛としてここにいるのだと」
「君の力は範囲が狭い。実に」
 言いつつ、男は肩肘をついてワインを口にした。準備された料理は、全て通いの者が用意している。毒味も必要かと思ったが「君よりも、私の方が毒に耐性があると思うがねえ」確かにその通りだった。
 唇に触れるだけで毒素は判別できるらしい。そんな能力でもって、トップに立ったわけでもないだろうが。
 底知れないところはある。武勇伝ならいくらでもあるが、男が戦う姿を実際に見た者は少ない。どこまでが後付けの伝説かわからない。
「お望みなら、山ひとつ開きますが」
 自分も下からそう思われているらしい。ふと、ロイはそんなことを思い出した。
「しかし、山登りをするには体力が足りない」
 男は実に愉快そうに笑う。
「まあ、たまには『山歩き』も楽しいだろう。ついてきたまえ」
 うんざりとロイは視線をずらした。海なら見守っていればいいが。山では、行ってらっしゃいというわけにもいかない。
「……仕方ないですね」
 いかにも嫌そうなロイの言葉に、男は怒らなかった。それを楽しんでいる。
「マスタング君」
 まるで、拗ねた恋人を宥めるような呼びかけだ。軍では誰も頭を上げることのできない地位で、よくやる。だからこそかもしれない。
 腰をあげた男が前に立ち、ロイの顎をあげさせた。そのくせ、眇めるような瞳で額に口付けを落としてくる。孫にするようなやり方だ、と思う。これは思いこみかもしれない。
「……閣下。私は護衛ですから」
「いつまで拗ねるつもりかね?」
「いくらなんでも、あと数日待ってくれればよかった。私は仕事のしすぎで死ぬかもしれない」
 確かにもう面倒くさくなっていて、ロイは目の前の身体に頭をぶつけた。かなりの勢いだったつもりが、しっかりと止められる。濡れた髪が指で梳かれた。
「なら、私が手伝おう」
 まだ少し濡れた胸が動いて声を発する。溜息で押しかえした。
「ご冗談を」
「冗談、ではないのだがな」
 それが問題なのだと、言い出す唇が捉えられた。間に入りこんだ男の指が、ロイの唇を手挟む。もう片方の手は髪を撫でていた。ずいぶん冷えているだろうに。
「マスタング君」
「何」
 もう敬語を使う気もうせ、気だるく返す。
「やはり、君には運動が必要だ」
 背中を撫でて確かめながらの台詞だ。顔を顰めた。
「……うるさいな」
 笑う気配。指を噛んでやったが、大した打撃にはならない。
「この体型を維持したまえ。悪くない」
 それはどういうことなのか。顔をあげると、少しそった背中を撫でられた。くすぐったくまた、背をそらす。落ちていく腕が腰のあたりを撫でる。
「言われるまでも……」
「しかし、もう少し柔らかい方が便利ではあるな」
 何に便利なのだろう。そんな無粋な質問はしない。唇に唇が重なった。目前にあるのは年上すぎる男の顔で、悪くない気分なのが我ながら不思議だった。
 目を閉じる。どうせ男の獣のような表情なら、あとでいつでも見られる。始まりのキスくらいには、情を感じていたいではないか。まったくない、わけではないのだから貴重だ。
「……ん」
 相手もまたそう思ったのか。口付けは熱を生まず、くすぐったいだけで離れた。目を開くと瞼に口付けられる。同じ場所に返したが、片目はやはり閉じられていた。
 閉じていると、見たくなる。開かせたい欲を感じたが、そうはいかない。馴れ合うほどロイは馬鹿ではなく、聞いてはいけないことはそれとわかる。
「閣下」
「何だね」
 吐息で囁くと、平然とした言葉が返る。
「今日はお疲れでしょうに」
 ふ、と笑った。顔を近づけているせいで、吐息が重なっている。目の前の男は老人でも敬愛する上官でもなく、魅力的な一人の人間だった。
 そういう感覚が、ご冗談、なのだ。ロイは笑った。
「よく、こんな気になる」
「君より身体は若いと思うがねえ」
「失礼ながら、こっちは別かと思いますが」
「権力に任せて女性を手篭めにするのは、だいたいにおいてこの年の男ではないか?」
「手篭め」
 その単語にやや呆れて、ロイは男を見上げた。
「手篭めですか、これ」
「まあ、世の中の言葉でいえば、それにやぶさかではないだろう」
「手篭めねえ」
 に、と男が唇を押し上げた。腰にくるような顔だった。ロイは平然を装ったが、どうも椅子から転げ落ちそうになった。椅子の背を持った手に力がかかったから、きっと気付いただろう。
「嫌なものなら、君はあらゆる手段で逃げるかと思うが」
「……あらゆる手段」
 苦笑した。この程度のことは利用してやる、という気がある。
「一度や二度なら抱かれるかもしれんな」
 それはその通りだ。やはり理解されている、とロイは苦い顔をした。
「はあ」
「然るにマスタング君。これは何度目かと思うね?」
 答えられずに沈黙した。意地が悪い。嫌がっていないとわかっているなら、それで通せばいいだろうに。
 そういう意味の視線を向けると、理解したらしい。くずれかけた身体を引き上げられた。いつも狼狽したくなるのは、上官が自らの前にひざまずく、この光景だ。
「……それはわかりませんが、閣下」
 何かな、とくぐもった声が返る。ありがたいお言葉を吐きだすべき唇が、ロイの下着をくわえて引いた。どこの娼婦かと思えることを。けれど、それでさえ情けなく見えないのが不思議だった。
(私なら、どうだろうな)
 これが染みついた威厳だと思うなら、考えてみて嫌気が差した。少なくともこんなことはしたくない。
「は……、」
 椅子の背を握りこんで、ロイは息を吐く。しつこい男の舌が、まだ垂れたそれに絡む。すぐさま身体が応えてしまったのは、これこそ若さだ、と呆れる。
 股間にうずくまった男は、上目にロイの反応をうかがっている。差し迫った欲を感じない男は、ただ、達するさまを眺めるのが好きなのだ。そのために男のものをくわえられる神経は、ロイにはわからないが。
 されて不快でもないのは確かだ。これは快楽に負けている、というのだろうか。
「ふ、ぁ」
 うずうずと腰が震える。さすがに男の髪を掴み、押し付けるようなことはできない。多少、望みと違った場所に触れても、ひたすらに待つばかりだ。丁寧に舌が通過したあとで、誘うように先端を擦られた。
「ッ、ん……ぅっ?」
 達しようとした瞬間、たまらない部分に指を押し込められた。じくじくとした感覚に言葉をなくす。強張った身体が次には緩み、ずるりと男の指を受け入れていた。
「……閣下?」
 男は口を離し、ロイの片足を椅子に上げさせた。真面目な顔で入りこむ指を観察している。
「元気じゃないですか、今日は」
 触れ合っても、ここまでいかないことが多い。それをからかうように言うと、男は楽しげに笑った。そのくせ、抉るようにもう一本の指が入りこむ。前から流れる粘液がくすぐり、音をたてて指に乗せられてきた。
「……ンっ」
「はて。身体を動かしたせいか」
「ぁ……、それ」
「堅い、が。……入るか」
 すぐさま三本目の指を押し込められ、ロイは声もなく身体を震わせた。そこをいっぱいに侵略しそうな指が、ずるりと動く。内部をかきまわされて、たとえようもない不快と、裏を這うような快楽がある。
 びくびくと、意識外の身体が揺れる。それが恐ろしく、また冷静な瞳が腹立たしく、ロイは手を伸ばした。男がロイに被さり、身体を揺らす。ぞくりとしたが、椅子を押しやっただけのようだった。
 近くになった壁に、安堵してロイは背を任せる。大きく足が開かされて、その間に男が入りこむ。
 顔を近づけた。
「……良いかね?」
 問い掛けてくるのも卑怯だ。熱のあがった顔など、見せたくもない。
「手篭めにするんでしょう。……できるもんなら」
 はは、と笑って、男のものが押し当てられた。ロイは思わず手を伸ばし、使えるものなのか確認した。やや硬度の足りないそれを扱いてやる。
「力を抜きたまえ」
 ロイの動きを知らぬげに、男が腰を押し付ける。切っ先が入りこみ、それから止まった。落ちてくる粘液を待って、また滑り入らせた。
「い……っ、た……」
 太い部分を入り口に留めたまま、待たされるのは辛い。うめきを漏らすと、宥める唇が触れた。これが不本意な関係だったとしたら、まったく逆効果だろうに。
 どうせわかっているのだ。
「……狭い」
「当たり前……、どんだけ、ぶり、だと……」
「はて」
 男は考えこむそぶりをした。そんなことよりも、とロイは焦る。足を絡めて引き寄せると、先端が滑りこんだ。思わず悲鳴をあげそうになるのを、唇を噛む。深くを侵略されるのは、またたまらなく落ちつかないものだった。
「どれくらいぶりかな」
「も、早く……っ」
 まだ安穏と考える男を揺らす。じくじくと内側を削るような塊は、そのまま内部に押し留められてしまいそうだった。それが怖い。
「ふむ」
「……ぅ、ぁッ」
 けれど大きく動かれると、骨を軋ませる痛みがある。
「ぃたっ……ぃ!」
「どうしろというのかねえ」
 苦笑した男の顔に噛みついてやりたくなる。かわりに自らの唇を噛んで、ロイは続きの行為を強請った。痛みやら、何やらわからない感覚で、頬に涙が伝っている。構わない。どうせ、どんな水分も出ていくためのものになる。
「まあ、とにかく急ぐことはない、マスタング君」
 たまらなく背を逸らす。相変らず急がない男の身体は、止まり、気まぐれに動いた。いくらでも焦らされるこの先を思い、ロイはこの時ばかりは死んでしまいそうに思う。得られる快楽より、それがとにかく酷いのだ。
「それに明日は、山だからね」
「ぁ、」
 ロイは青ざめた。しかも、今日はまだその先があるらしい。これからの長さと、明日の長さを思った。どうせ急かしたところで叶えられた試しはない。いつまでも男は終わらず、ロイばかりが何度も吐き出すことになる。
 こうなったら泣き落とししかない。丁度、涙は適度に落ちている。
「海に……」
 哀れな声で言うと、男は笑った。
「悪くないな」
 そして続けられた言葉に、ロイは何も言うことができなかった。
「気付いているかな。泳いでいる時の君は、なかなか魅力的だ」
 さすがにこんな時にでも、とても閣下に言える台詞ではない。そんな返答しか思いつかなかったのだ。