朝日が眩しすぎる。
 目の奥がじくじくしていた。ぎゅっと目を閉じて毛布にくるまる。しばらくどろどろとしてから、ロイは枕元の時計を見た。
「……」
 もう一度見る。
「……嫌だ」
 呟いてみたが、このまま眠っているわけにもいかない。優秀な部下に襲撃されるおそれもある。せめて違う場所に逃亡してから眠るべきだ。そして実際そんなことをしたら、もうあとは殺されるしかない。
 恐怖が瞼を押し上げ、ロイはもぞもぞ起きあがった。腹に力を入れると腹筋が痛い。どんな筋肉痛だと呆れる。実に不健全だ。
 欠伸をして昨日のことを思い出した。考えるまでもなく、こうなる相手というのは決まっているのだが。
(やってられない……)
 何しろ相手には差し迫った欲求がなく、つまりは延々と弄ばれるだけなのだ。ひたすら焦らされ絞り出されて、どうして好きにさせているのか。あまり考えたくもないが、要するに逆らえないということだ。
 だから今更後悔しても意味はない。ぎしぎしという腕も腰も、足の先までも仕方がない。
 いつものうんざりに浸りながら、ロイは這うようにして、箪笥から下着を探し出した。転がりながら身につける。それから半身を起こして軍服を身につけていく。立ち上がってズボンを上げ、手袋でようやくしゃっきりした。
「あぁ、大佐ができたな」
「……え」
 満足そうな声に唖然とそちらを向く。ぽと、とハンカチが落ちた。
 すでにいないはずの男が、悠々とベランダ際に腰掛けていた。きっちりと服を着込んで。その前のテーブルには、朝らしい、冷めたコーヒーが鎮座している。
「な」
 ロイは目眩がした。そのままくらくら倒れてしまいたかったが、力を振り絞って声をあげる。
「何してんですか、あんたは!」
「それはまた、酷い言い方だ」
 低く笑いながら、男がカップを上下させる。嫌味ったらしい。だいたいどうして気づかなかったのか。ロイは自己嫌悪に陥ったが、それはもちろん、あまりに長い夜の疲れのせいだ。
「仮にも一夜を共にした男に、そんな言葉はなかろう」
「あのね、そういう問題じゃないでしょうがっ」
 知っていながら、もう一度ロイは時計を見た。少しだけ針が進んでいる。自分の遅刻よりも何よりも、今度はもっと大したことが問題だった。
 この際、美人の部下に殺されてもいい。
 むさい憲兵に殺されるよりはましだ。
「あーもう、今日はあんた視察でしょうが、下の。なんだってこんな……ああ、とにかく急いで出てってくださいよ。いや、出る時はマスクと帽子を、」
 あわてて箪笥をひっくり返すロイを、男はおかしそうに眺めていた。
「まったく、誰もかれもが急かしてくれるが。多少の遅刻くらい、かまわんだろう」
「遅刻がどーとかいう問題じゃない。立場を考えてください、立場を。大総統閣下が所在不明でどーしますか!」
「何を言う。私は年端のいかぬ子供ではないぞ、迷子になどは」
「だから迷子じゃないから問題なんでしょーがっ」
 ずきずき頭が痛む。ロイはなんとか帽子とマスクを探し出すと、件の大総統閣下に投げつけた。男はふむ、と興味深そうにそれを受け取る。
「味気ないねえ」
「さっさと出ていかないと、本気で蹴り出す」
「おや」
 男が立ち上がった。まったく隙のない、軍人だとすぐに連想させてしまう所作だ。思わず見惚れたくなるような。ろくな職業ではないが、その仕草が美しくあるのは何の皮肉だろう。
 近づく足運びまでを見てから、ロイは視線をあげる。近づいた瞳には、相変わらず表情というものがない。冷たいのでもなく。ただ、ごまかされそうに在るだけだ。
「閣下、」
「私は君と朝を楽しみたい、だけなんだがねえ?」
 低い声が身体に響いていく。まずい、とロイはすぐに思った。元々まともでなかった腰が、ふらつきそうに力をなくす。感覚のない身体を支えながら、ロイはそれでも平静に男を見返した。
「……馬鹿を言ってないで、さっさと」
「もうしばらく離れる気も、離す気もない、と言ったら?」
 力のある堅い手が、ロイの頬を捕まえた。一歩を引くとすぐに壁に突き当たる。追いつめられている、ような。
 気になってはまずいのだ。負けてはいけない。
「本当に、怒りますよ」
 じっとりと見上げる。同時に手を払おうとしたが、その手をつかみ取られただけだった。げ、と心の中で呟く。状況は深刻に最悪だ。
 予定をひっくり返して部下に探し回らせることも、この男ならやり得る。そういうサボり癖はロイにも引き継がれているので、何しろ師匠みたいなものだ。理解してしまったことにロイは後悔する。
 まったく迷惑な話である。サボっていいのは大佐までだ、と都合良く思った。
「怒ったら、どうなるのかね?」
 完全におもしろがることに決めた、男の手がロイの頬をぺちぺちと叩く。甘くみられていることは本意でもなく。ロイは少しだけ眉間に力を込めた。右手を軽くあげて見せる。
「燃やされたいですか」
 こちらも本気なのだ、と示しただけのことだった。しかし、まずい手を打ったとすぐに気づく。男の手が、さらさらと柄を撫でている。
 自分も本気なら、相手も本気だった。
 ロイは思わず、憲兵に殺されることと天秤にかけた。少なくとも、この男にかかれば苦痛を味わう間もないだろう。
 しかし本音のところ、どちらも嫌だ。
「……仕方ないですね」
 ロイは溜息をついて手を落とし、肩を竦めた。男が柄にあてていた手を、そのままロイの腰に回す。今にも崩れそうなことを、知っていたような仕草だ。遠慮なく体重をかけてやった。
 耳元で男が笑った。
「残念だ」
「何」
「君の焔が斬れるものかどうか、一度確かめたかった」
「……御免です」
 間違ってでも一緒に斬られてはたまらない。そういう意味で言ったのだが、男は「かわいい奴め」というような顔で頭を撫でてきた。明らかに誤解されている。結局、だから暴君だというのだ。やってられない。
 しかしロイはなんとか思考を逆転させた。自分に言い訳をせず、サボれるチャンスというものである。
「閣下、朝を楽しむ気なら」
 少しだけその気になって、視線を向ける。近づいた唇が触れる寸前、男が言った。
「そういえば、君の出勤はいつかね?」
 動きを止めてまで聞くことか。うんざりしながら、ロイはそれに答えた。一蓮托生なのだと笑おうとして、男がやや深刻に言う。
「それはいけない。あぁ、今思い出したんだ。君が定刻に現れない時には、この家を襲撃する許可を与えてしまった」
 次の瞬間、ロイはあり得ない力で男を蹴り飛ばした。