なんでこんなことしてるのかしら。
 さっぱり表情には出さず、ホークアイ中尉はそう思った。そりゃあ確かに、彼女は軍属である。上官には逆らえないというか、逆らってはいけない。その上、自分でついていくことを決めた男ではある。
 けれど、そういう思考すべてをひっくり返すような状況であるような気もする。女にふられて立ちあがれないほどくたばっている男を、上官と認め、なおかつ、ついていくことは当然のことだろうか。
 疑問である。
「……ィ」
 彼女がわしわしと頭を洗ってやってる男が、呟いた。耳を寄せるまでもない。さきほどから聞き飽きた、女の名前だろう。無能以上にもっと過激で、情けない呼称はないものかしらね、と中尉は思う。
 少なくとも大佐どころか、普通の男だって、女にふられたあとで違う女に頭を洗ってもらうことはないだろう。別に、女性扱いしてほしいとは毛ほども思わないのだが。
 やや、理解不能である。そんな理解不能なところに魅力を感じた、というとよくある話しだが、恋愛感情よりは尊敬が近かった。
(尊敬)
 騙されている気がする。
「煩いですよ」
 まだぶつくさ言っているので、髪を引っ張りながら黙らせる。くら、と男の頭が傾いだ。とても大佐のする角度ではない、と彼女は思った。情けなさすぎる。
「うるさいって……」
 仮にも上官に、だとか、ぼそぼそ言っている。中尉は軽く眉をあげた。
「上官の扱いをしてほしいなら、その、情けない態度をやめてください。うざったいです」
「……うざったい」
 くらくらしていた彼だが、そのうちにぴしっと頭を戻した。そんな姿勢になって言うことは、だいたい想像がつく。
「じゃあ」
「上官じゃなければ、こんなことはしませんので。あとはご自分で」
「……わかりました」
 大人しく口を閉じてくれたようだ。中尉はわざとらしく溜息をつく。自分だってこんなことはしたくない。明日の式典に、風呂も入らない姿で行かせるわけにはいかないのだ。ただでさえ敵が多い彼のこと、また下らない中傷を増やしたくない。
 馬鹿らしいとは思うのだが。そういうものを放っておくと、内容はともかく仲間意識の輪が広がり、また敵が増える。そんなものはないに限るのだ。つまり。
 これは仕事である、と彼女は自分に言い聞かせた。
「だいたい……」
 問題はこの男の性癖というものだ。
「今更、ひとりくらいいなくなっても変わりはないように思いますが」
「甘いな」
 何が甘いのやら、と思いながらシャワーで水をぶっかけた。泡が口に入ったらしい。ぺっぺっと音がしたあとで、言葉が聞こえた。
「一人が唯一なんだ。女性はすべて同じではないよ、ホークアイ中尉」
 それはそうだが、この男にいわれたくはないだろう、と世の女性を思ってみたりした。手はリンスを探し出し、またわしゃわしゃとかきまわしている。ふと、自分の服の襟を見た。上着を脱いで気をつけていたが、泡が飛んでしまっている。
 溜息をついた。泡をつけて男の部屋から出るのと、この男の部屋で着替えるのは、どちらが平凡なことだろう。自分ひとりには気にすることではなかったが、何かを言われることは違いない。
 面倒くさい。
 あまりそういうことは考えたくないのだ。色々と。
「ロージィのかわいいところは、頭が良くて」
 うんざりしていると、またうんざりすることを話し出した。溜息で幸せよりも、時間が逃げてしまうのが勿体無い。
「……馬鹿な子がかわいいと、先日は言ってらっしゃいましたが」
「あれはルースの話」
 そうですか、としか言うことがない。わしゃわしゃと耳の裏までかきまわすのに集中した。暖かい場所で、どうやら気持ちが良いらしい。男がまたくらくらした。やり辛い。
「私が言うことを、こう……すぐ理解してくれるんだ。いや、理解しなかったとしても……」
 うつらうつら。船をこぎ始めた彼に、中尉はもう面倒になって「ええ」と色のない言葉を返した。
「一緒にいると、安心するんだ」
 思いの他真面目な言葉が漏れて、手を止めるところだった。どこまでも卑怯な男だと思う。どうせその彼女も、自分から身を引いたのだろう。この男と別れる理由第一位だ。わかっているだろうに、引き止めはしない。
 そのくせ嘆いてみせるのだから。どちらのためになっているのか。別れたほうが幸せだろう、と中尉は思ったが。
 誰もがそうとは限らない。この卑怯な男が、少なくとも真摯に女性を扱うのは確かだ。そうでなければ、これほど人気を集めることはないだろう。恨みもまた、これだけに済まなかったのだろう。
「なんで、だめなんだろうな」
 ぼそりと呟く。それきりかくりと傾いた上官に、また彼女は溜息をついた。明日からはまた、阿呆くらいに女にまみれて、そのくせ仕事もしてくれる男になる。だからこそ甘やかすこともできるのだ。
「何故でしょう、ね」
 こんな時に彼が呼ぶのは、いつも彼女だった。誠意なのか女の顔は見たくないくせ、男に慰められたくもないらしい。わからないでもないが。
 中尉は肩を竦めた。シャワーでリンスを流して、さて、どうしたものかと考える。一応に鍛えた成人男子を、ベッドまで運ぶのは難だ。どうも目を覚まさせるのも面倒で、かといって風邪をひかせるわけにもいかない。
「ああ」
 実に合理的なことを思いついて、ふ、と笑った。優秀な部下としては、このくらいのことが相応だろう。



「あれ……?」
 間抜けな声で目を覚まして、ロイは抱きしめている枕を確認する。ぼんやりとその向こうに見えるのは、スポンジとアヒルではないだろうか。
 また、夢かと思いなおして目を閉じる。風呂場に布団を持ちこむなんて、一体誰がするだろう。
「……」
 ひくりとまた、目を開く。広いバスルームで。
「……おやすみ」
 とりあえず思考を停止して、やっぱり眠りに戻ることにした。遠くで電話が鳴っている。今日の予定はなんだったか。何、どうしても必要だったら、そのうちに優秀な部下が迎えにくることだろう。