ふふふんふんとご機嫌な鼻歌が聞こえた後で、つるつるきれいになった銀時が風呂から出てきた。冷蔵庫を開いてポンジュースを取っている。ポンジュース?
「いやぁ良い風呂だった。泥っだらけでどっこも行けねえもんな」
うんざりと土方は溜息をつく。
なんだって自分の支払いで、ホテルに連れ込まれなければならないのだろう。理不尽である。しかし逆らわなかったあたり、何より理不尽なのは自分自身だ。
「排水溝詰まらせても困るしよ。ホテルの風呂なら料金内だろ」
「修理が必要なまで詰まらせてねーだろうな」
「そこは任せとけ。丁度、なんか迷惑だけで修理費を請求できねえくらいのぴったりに」
「……」
次からここ使うのやめよう。
一応、真選組というのは待ってくれない仕事である。だから緊急の時のために、とにかく近場にいようとしている。ここが使えないのは少し痛いが、仕方ない。他にも休憩できる場所くらいあるだろう。
何しろ屯所では落ち着かない。バカな部下に怒ってばかりだと血圧もあがる。バカ……いや、豪快すぎる上司に至っては更にどうにもこうにも。
「いやいやしかしラッキー。俺ついてるわ今日は。いやいつもか?」
「……月夜ばかりじゃねえぞ」
一応の恨み言にも銀時は笑って返した。
「月夜にしてんのはあんたでしょーが。ほら、さっさと入ってきな。今ならもれなく俺の残り香が……げ、何すんの」
「人質」
ふん、と鼻を鳴らして、土方はふざけた木刀を手に浴室に向かった。既に服は脱ぎ捨てている。
「いや人質ってコラ、湿気て重さが、ってか逃げねぇっての心配性め」
「こないだ逃げたのはどいつだ」
「あれはかくかくしかじかな事情が」
「言ってみやがれ」
「待ってるうちに面倒になっちまってよ、こればっかりはどうにもなんねェ」
「……よほどダメにされてェらしいな」
「うわ、待った待った! いや悪かったからそれはやめてそれは。安物なりに金が」
「じゃ、そこにいろよ」
苦笑して木刀を放り投げてやると、さすがに持ち主はしっかり受け取った。おおお、と変な声をあげて木刀を抱きしめている。どこまで本気なんだか。土方は少なくとも数度、それを忘れて行こうとしたのを知っている。
「あ、そこにって。ここ?」
「そこ。動くなよ。動いたら次から何もしてやんね」
「何もって嫌だ何考えてんの」
「……往来で見かけたら泥かけてやろーか?」
「さっさと暖まりな、風邪引くよあんた」
笑顔で見送られてドアを閉めた。銀時はしばらくふらふらしていたようだが、脱衣所の前にどっさり座り込んだ。どうも欠伸をしている雰囲気だ。
眠りこんでしまう前に、と土方は急いでシャワーを浴びた。泥だらけの男に抱きつかれたせいで、本人ほどではないが泥がついている。
だいたい何故出会ってしまうのだろう。逢ったら逢ったでもうどうしようもないのだから、出会いをとりあえず恨む。
しかも今日は泥まみれだった銀時は、土方を見るなり笑った。にーっと、カモを見つけた目だあれは。
(だってのに)
逢って嬉しいと思われている、というだけで、悪くない気になってきた。腹が立つのに嫌ではない。ムカつくのに離れようとは思わない。
これは中毒か?
まだ抜け出せるはずだ。
(いつまでだよ)
少なくとも今のうちならば。もし銀時がテロリストの仲間だったりしたら、可能かはともかく斬り捨てようとする自信はある。そこで躊躇うほどふぬけてはいない。
「……まだぁ?」
「ガキかてめぇは。もちっと待ってろ」
「いやそっちこそガキじゃねえの、ちんたら洗ってんじゃねえよ」
げし、とドアを蹴ってやると、少し驚いたようだ。しかし痛いのはこちらの足ばかりで、土方は舌打ちした。
「うっわ、バカがいる」
更に大笑いしている奴がいるのでキレた。土方は浴槽に落ちている泥を拾い上げると、だしぬけにドアを開き、揺れる天パの上にのっそり置いてやった。
「は」
「けっ」
それだけでドアをしっかり閉めると、銀時はあたふたと慌て始めた。変なダンスを踊っている。しかしすぐに慌てても仕方ないと思ったのか、立ち止まってドアを叩き始めた。
「おいコラ開けろ、せっかく洗ったってのにこの野郎」
言葉の割に大人しいのは、騒いで動くと泥が落ちるからだろう。異常なまでにまっすぐ立っている。おかげで泥は現状維持のようだ。
妙な律儀さに満足して土方はドアを開けてやり、腕を掴んで浴室に引き込んだ。
「うわ、……何、一緒に入ろうってお誘いで?」
「おまえと風呂場でいちゃついて何が得られるってんだ」
「愛? ってかどうしてくれんのよこの頭は」
「洗えよ、さっさと」
タオルを引っ張って、土方は銀時と入れ替わりに浴室を出た。後ろでアホがぼやいている。
「なんか今日は関白だねえ。さてはアノ日……?」
「風呂くらい黙って入れ」
実のところ風呂場でいちゃつくというのは、まったく考えられないあり得ないというほどではない。何しろベッドの上でいちゃついているのだから、風呂になったからなんぼのものだ。
しかし現実的な問題として、妥協価格のホテルバスは脆そうだ。元気な男二人のとっくみあいには耐えられそうにない。
本当はしたいんだけど、と言いだしそうな自分に溜息をつき、土方は衣服を探した。浴衣をひっかけたので着る気はなかったが、見ておきたいものがある。
そもそも町をぶらついていたのも、頭をすっきりさせるためだ。
先日、手に入れたテロリストのメモがある。どうも待ち合わせ日時と場所を暗号で示しているようなのだが、未だに解読できない。
真選組に頭脳労働を求めても、正直なところ無駄ではないかと思う。使えるのが自分だけではどうしようもない。相手も、わかっていて暗号をちらつかせたわけではないだろうが。
(日付と場所、になると良いんだがな)
もう何度も眺めたメモを開く。糸口は全く見つかりそうになく、溜息をついて浴室に意識を向けた。頭を洗ったところでそう時間はかからないだろう。あの男がるんるん長風呂の想像はできない。
メモをしまい、ふと、もう一つ気がかりがあったのを思い出した。
「……む」
恋文だ。
なんだかそういうことになった娘から、もう一度お会いしたいという内容だったが、どうしたものか。悪い娘ではなかったが、魂を惹かれるようなものがなかった。
愛情もないのに応えるのはどんなものかと土方は思っている。そういうことをする奴がいるので、世にはまがい物の愛が溢れているのだ。
真実の愛があるとは思えないが。
それを信じたい、とも思えない相手と、逢瀬を重ねるものではない。
(……ん?)
何か引っかかった。
(いや、今はこれをどうするかだ)
やはり断ろうと思っていると、銀時が風呂から出てきた。天然パーマがふにゃけている。頬は赤く、色っぽいと言えなくもなかったが、いかんせん堂々としすぎだ。ぶらぶらさせながら出てこられても。
まあ、人のことは言えない。
「ん? 何見てんの」
肩をすくめ、土方は恋文をしまった。
「別に」
「ふうん?」
大して興味を惹かれた様子でもなかったので、土方はそのまま衣服の間に挟んでおいた。銀時は再びポンジュースを引っぱり出して、幸せそうに飲んでいる。
「腹ァ壊してもしらねーぞ」
風呂上がりがいくら暖かいからといって、素っ裸で冷たい飲み物はどうかと思う。
「おー。副長さんは繊細だなァ」
「拾い食い野郎に言っても無駄か」
「……おい待てよ。一体どこで見やがって」
おいおいおい。
「ほんとに拾い食いかよ……」
「は、ちがちが。冗談ですよ」
とても冗談とは思えなかったが、武士の情けで追求しないでおいた。そうか、そんなに飢えているのか。
(つって、毎度パチンコやってる奴に同情できねえ)
呆れながらも土方はベッドに上がり、横になって銀時の様子を眺めた。ぺたぺたと足音をさせて銀時はやってくる。ふと、屈んで土方の服を拾い上げた。
「おい」
というか、その間にある恋文だ。
思わず焦ったが、そんなようなことでもない。だいたい銀時とは付き合っているわけでもない。慌てる方がおかしいだろう。
「なになに」
それに手の早い男は、既に文面に目を通している。
「先だってはお情けを賜り……ふむ?」
ちらりと銀時が見てきたが、どうも読めない瞳だ。なんだか緊張して待ってしまい、土方は自分に言い聞かせた。問題ない、問題ない。
しかしどうにもやはり、そういう関係の相手の前でそういうものはちょっと。マナー違反だという気もする。
「また一晩、のお誘いか。へえ、おもてになりますこと」
目を細めて銀時が、口元を手紙で隠した。冗談のような言葉に少し呪縛が解けた。まあマナー云々というのなら、勝手に人の手紙を見ている銀時も問題だろう。
「一晩、試しに付き合ってみただけだ」
「良い娘だった?」
「それなりに」
「ほーう」
妙な声をあげるな、と言いかけて土方は黙った。わずかに銀時が視線を下に向けたのだ。
伏せられた睫が、まるで哀しいような、怒ったような表情になった。
「……は」
土方は硬直した。なんだかこれでは、
「堂々としたもんだなァ」
浮気を責められてるような。
「全然ちっとも、負い目なんてねえわけだ」
「……」
あきらかに責められているような。
「お盛んなことで」
細められた目だけでは、笑っているのか怒っているのかわからない。土方は動揺して視線をうろつかせた。
「ま、良いけどな」
しかし今すぐにでも背中を向けてしまいそうな雰囲気に、土方は慌てて口を開いた。とにかく悪いのはこちら、の、ような気がしないでもない。なんか。
後ろめたさはあったし、たぶんそうなんだろうなんか、やっぱりどうも納得できない部分はあるが。銀時の不機嫌な表情だけで帳消しにできそうな気も。
だって。
怒られたっていうのは。
(ちょっと待てそれを喜ぶってのもどうだ。どうなんだ)
冷静になれ冷静になれと自分を宥めた。冷静なことを言うつもりが、まともな声にならない。
「えー……うー」
「言い訳があんの?」
「あーのー、だな。俺は、なんだ」
すぅっとまた、銀時が目を細めた。
「反省してんの?」
「し」
「し?」
「してなくは、ない」
「してんだな?」
追いつめられて土方は、頭の端でちょっと思った。なんでこんなこと言われてんだろう。はたしてこんな責任のある関係だったか?
しかし目の前にとりあえず、浮気を追求する相手がいたりすると。
「……した」
こくりと頷く。
「本当か?」
「ああ」
嘘ではない。こんなことになるなら恋文なんて出さなきゃ良かった、と反省している。
「証拠は」
まさか土下座でもしろっていうのか。それは受け入れられないぞさすがに。
「ま、こんな関係だからな。おまえの気持ちもわかるさ」
なんつって寂しげな顔をされた、ような気がして更に慌てる。動揺しすぎて土方は耳から煙を吐きそうだった。いや、今は煙草をくわえてもいない。ほら、風呂上がりだしキスとかできないし。
それでも煙を吐きそうだった。とにかく。
「じゃあ態度で示してくれるよな? 今日は、俺の好きにさせてくれんの?」
などと可愛い願いならば、叶えないはずもない。土方は救われたとばかりにこくこく頷いた。
「そか」
すーっとまた、銀時が目を細める。それから口元をふさいでいた恋文も下ろした。ぽいっと、どうでもよさそうに投げ捨てる。
しっかり見えた銀時の顔は、
「その言葉、忘れんなよ」
明らかに楽しげに笑っていた。
「う」
土方は呻いて額を押さえ、この場から逃げ出したくなった。いろんな意味で。
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