「行ったみたいだなァ」
いつもの、気軽そうな調子の言葉が、少し低い。深刻さを含んでいるのは何故だろう。土方はぼやけた頭をどうにか振った。
腕の傷の痛みよりも出血が問題だ。朦朧としてくる。場所も状況もわからなくなりそうで、どうにか口を開いた。
「また、すぐ、来る」
自分に言い聞かせるような言葉に、銀時は肩をすくめた。けれどいつにない表情で顔を覗いてくる。
心配されているような気になった。
小さく笑う。
「なんだ、らしくねェ。逃げるなら今だろうが」
まともな声は出るには出たが、迫力には欠けていただろう。まるで子供を宥めるような顔になったのが笑える。さすが、子供を抱えた一家の大黒柱は違う。
「……こら、笑うな」
眉をひそめて言うので、土方はまた笑った。
「これが笑わずにいられるか」
「笑うなら静かに笑いやがれ。そう揺れてると出血が増える」
「さて」
息を吸い、ふっと吐く。馬鹿なヤケになっている場合ではないだろう。腕の傷を押さえながら、目の前の男の帯を引き抜いた。
「うわ」
「貸せ」
ベルトでも良かったのだが、あまりきつく絞めすぎても腕が壊死する。ましてや、これから医者に行くあてもないときた。
「もう用はない。行け」
「……言ってくれんな。この格好でどうしろと」
「何が問題だ」
冗談のように着崩している着物だ。完全にはだけたところで問題はないだろう。帯紐の方も、血で汚れて嫌がるほど大した品とも思えない。
銀時はわずかに眉をあげ、いやに真面目に言った。
「走りにくい」
「はッ、バカか」
「バカはてめェだ、鬼の副長さんてば。一人で置いてかれてどーする気」
「どうとでもなるさ」
まずいことに利き腕をやられているが、刀がもてないほどではない。指を動かしてそれを確かめた。
「まともに握れてもねえくせに。打ち合い即すっ飛ばされるぞ」
「ふん」
「……ああ嫌だ、これだからバカの見栄っぱりって」
「黙れ。行け」
「……あのねェ」
銀時が溜息をつく、その息がかかりそうで、土方は嫌な顔をしてみせた。密着して物陰に二人で入り込んだ状態で、その程度を気にしている場合ではない。
しかし気になるものは仕方ないだろう。
どんな状況であってもどうせ、この男が腹立たしいのは間違いない。
「いくら俺が多忙な人気者で、おまえがアホな役立たずだったとしても」
「死ね」
「……あ、ひど。とにかくだ、でもこの状況でポイはないでしょうが」
「卑怯者のくせに」
銀時はまた溜息をついてから、外の状況を伺った。そうする時には真面目になる。視線が土方に戻ると、どうにも困ったような顔をした。
笑える。
「だから笑うなっつの」
「笑わずにいられるか」
「まあ、アホな状況だぁな。……逃げた方が良いかもしんねえが」
「だったら逃げろ」
片手で柄を弄びながら言う。怪しげな男達の気配は遠ざかっていたが、完全に離れていくことはない。虱潰しに調べ始めるのもそのうちだろう。
「あのな、逃げようにもな」
「逃げんのは得意だろうが」
「あ、聞き捨てならねェなそれ」
「バカ」
「どっちがバカだ」
「おまえよりバカがいたら致命的だ」
「なんだとコラ。おまえよりバカがいたらサルだろ。いや、サルにも申し訳ねえな。イソギンチャクだ、イソギンチャク」
「うるせえ、脳味噌スポンジ」
「……あーもーこのバカ助をどうすりゃいいのかね」
「だからほっとけ」
「真選組のみなさんもこりゃ大変だ。こんなのの下についてられんなぁよく。俺だったら盗み食いして逃げるぜ」
「黙れ」
「しかもあとで投書しちゃう。この人裏切りものですよなんつって」
「だから、黙れ」
うんざりしながら言ったのが聞いたのか、ようやく黙った。草履の音がじりじりと近づき、ひどく側を通っていくのがわかった。
息がつまる。
喋りすぎたせいだ。まったくあり得ねえ。なんでこんなやつと一緒にいる時に、こんなことに。
緊張も身体に影響しているのか、息が荒くなるのが自覚できる。押さえ込もうとするほど無闇に跳ね上がる。
ふいに、銀時の顔が近づいた。
ただでさえ近づいていた顔が、考えもしない距離になる。
「……ン、」
どうにか暴れずにいながら、バカだこいつはと呪っていた。
人工呼吸並に息を吹き込んでくるのだが、当然、もっと苦しくなるに決まっている。これでなにをどう助けたつもりなのだ。それとも嫌がらせか?
「ちから、抜けよ……気配出すな」
離れた唇の合間から言われて眉を寄せる。確かに緊張しすぎた身体は、殺気を発しているのかもしれない。
唇を舐められると、ざらりとした刺激が身体を揺らした。ふっと、力が抜けている。
嫌な気配は遠ざかりつつあったが、銀時は距離を戻しはしなかった。吐息が触れ合わずにはいられない。
「いーか。通行人が何人かいた。奴らもそう大っぴらに動けねえよ。良くすりゃ、すぐテメェの仲間がかけつけてくんだろ」
「……」
答えられなかったのは、言葉の合間にいちいち唇をつけてくるからだ。
「つって、さっさと諦めるはずもねえだろーな。おまえ目当てか、俺目当てか知らねえけど、ここは協力だ」
土方は眉を寄せた。男達は最初に土方に斬りかかってきた。つまりはおそらく、銀時目当てというのはあり得ないことだ。
「っつーか、こんなこと嫌がる力も残ってねえくせによ」
「……休んでる、だけだ」
「へいよ。とりあえず静かにして空気になってな」
「おまえは行けと言っている」
「……たいがいしつこいな」
「二人いると目立つ」
「おまえ一人でぜえぜえ言って目立たないって話? どんな冗談よ」
「これは俺の問題だ」
「だっから、ねえ、」
「帰ったら連絡してやる。だから行け」
銀時は厳しい瞳で土方を見てから、うんざりしたように言った。
「それは魅力的な話ですけどね。そやって帰らない人が多いのよ」
「……何の話だ」
「さて」
息を吐いて、銀時が少し離れた。密着していた身体の間を、冷たい、剣呑な空気が通り過ぎた。血の匂い。
見れば銀時の服にもしっかり血が移っていた。これはクリーニングも辛そうだ、と妙に現実的なことを思う。
「はっきりしてるな? 意識」
「出血は止まった」
「嘘付け。……でもまあ、軽くなった。手は動くな」
「そう言った」
「いっそ失神してくれた方が楽なんですけど」
「なんだと」
「あーそれもやばいか。ちょっとの出血でも昏倒する人もいるんだよこれが」
ひくりと土方は眉を揺らした。それは聞き捨てならない。
「俺は武士だ」
「出血慣れてる?」
「当たり前だ」
すると銀時は口元に指をあて、何か考えている仕草だ。どうせろくでもないことしか思いつかないのだから、それこそ失神して欲しいところだ。
「だからとにかく行け」
「いやそういうわけにもいかんでしょだから。わからん人だなあもー」
苛ついてきたのがわかる。土方の方もだんだん腹が立ってきた。この相手の前ではいつものことではある。
「行かねえなら斬るぞ」
「……ここでそれを言うか。説得力を落としてきたな、どっかに」
「犯す」
「説得力通り抜けてイリュージョンだわそりゃ」
「あのな」
「時々、面白いこというよなあ笑えねえけど」
「本気で興奮してきた」
「……」
「斬るか犯すか、どっちか」
「……笑えねェ」
「笑うな」
「言っとくけどな、斬りたい気分は単に仕返ししたいだけだろ」
「だろーな」
喉を鳴らして笑った。斬られっぱなしというのは意味がわからない。血の匂いもしている。ひどく酷薄な気分になってしまいそうだ。
今すぐ飛び出して、一太刀浴びせたい気分を堪えている。だいたいこんな状況もそいつのせいなのだ。腹の立つ。
「……人斬りが。刃物振り回してっからそういうことになる」
「木刀だって人は殺せるさ」
「……」
「犯したいのは?」
「命の危機だから。ほれ、生命保存のなんとかな本能」
「ナントカかよ」
「ナントカ」
嫌に真面目な、そのくせ間の抜けた顔をして、また銀時が身体を密着させてきた。土方は壁際にいるからされるままだ。というより、壁にもたれていなければ立つのが辛い。
ふらついている自覚はあった。
銀時は妙な顔のままでまた、唇を近づけてきた。キスかと思ったのにそうではない。無粋に口を開いた。
「……宥めてやっから、大人しく失神しな」
手を少し動かすだけで、腰のあたりに触れられる。それほど小さな場所に押し込められているのだった。まるでそうしろと言われているような。
「させられるもんならな
強気に笑ってやって、なぜか調子が良くなった。開き直ったせいだろうか。図太く、世界に居座ってやりたい気分だ。
「イくまで持つかも怪しいんじゃねえの?」
「そっちがな」
言えるほど、事実余力はないのだ。それでも手を伸ばしてやると、わざわざ銀時が腰を近づけてきた。笑える。
まったく笑える。
「足……開けよ」
そんな言葉にも、銀時は素直に従った。怪我人というのも悪くないかもしれないと、少しだけ思った。バカが素直になっている。
しかし土方の方も素直になるしかない。ぐだぐだと言っていられるほどの余裕はなかった。だから他人の手が熱を勃たせたのを感じると、あとは情緒もなく尻を出させた。それも震える指先で少し濡らしただけだ。
「……ヤバイ」
呟いたのはどちらだっただろう。
土方はもう焦っているのか辛いのか、興奮しているのかわからなくなった。とにかくも捌け口を求めている。身体を揺さぶって、中をかき広げ、深くにまで押し込んでやりたい。
だがそんな時間はないような気もしていた。視界がぼやけるのは失神の兆候だろうか。どうでもいいとも思ったが、このまま意識をなくすのはあまりに惜しい。
銀時が、その目でしっかりと覗き込んでくる。
土方だけを見ている視線だ。当たり前だろう。さすがにこんな時まで、バカな考えに溺れさせたりはしない。そんなことは許さない。
「ひとつ……言う、けど、さ」
ろくに何もされていないくせ、なぜか銀時の息も荒かった。
「……いちおう……。俺まで動けなく、なったら」
「いい」
一言で銀時は口を閉じた。なんて簡単なことだろう。そして妙にとろけた顔が近づき、そして消えてしまった。もがくように土方は抵抗する。まだ味わっていたい。
しかしそれはただ、光を遮られただけのことだった。ただ銀時の表情だけが見えず、感覚は鋭敏に、包み込まれるのを知った。そして小さな声が聞こえる。
「っ、て……」
それは痛いだろう。
こんなところでこんなことをしていれば。
「……だから、笑うなよ」
だから、笑わずにいられない。
ぎりぎりと肉が怯え、刻むように受け入れていく。土方は深く深く切り裂いて沈み込む。それは暗い欲求を全て叶えるもののようだった。血の匂い。そして情けないような性の匂いがしている。あとはどこの家からか、カレーの匂い。
顔が見たかった。
「笑うな……って……か、揺らすな」
痺れるほど甘い言葉が聞こえて、やはり惜しいと思った。快楽に溺れた表情が見たい。けれども、こうして意識を失う誘惑にも、やはり逆らいがたいものがある。どこまでも得体の知れない男に。
深く深く、入り込んだまま。
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