「……もげる」
 土方の呟きに、んー? と銀時が顔をあげた。なんとも気怠い仕草だ。頭を掻き回し、焦点の定まらない瞳で土方を見る。
「てめえの汚え二枚舌に弄ばれてかわいそーな俺の」
「あー、あんたんちの情けない息子のことね」
「……誰が情けない息子だコラ」
「まあ、うちの息子の成長ぶりには誰ひとりとして勝てねえだろうがな、相手が悪かったぜ旦那」
「犯すぞ」
「……」
 銀時は黙った。怯えたわけでは絶対になく、ただひたすら虚しくなったのだろう。土方もまた、自分の発言に虚しくなった。
 何やってんだか。
 状況を言うならばすでに犯し終わったあとである。むしろ犯されたような気がしてならないが、そんな感覚的なことは排除しよう。とにかくもそうなった、それは納得しておく。
 さて、そして土方は料亭の個室にいる。怪しい話なんぞに相応しい場所で、呼ばなければ誰もやってこない。寝具もあるから朝まで眠っていることもできる。ここは真選組も常用していて、ついでにいえば、今回の料金も経費で落とせたりする。
 だから酔っぱらいアホに絡まれた時、ここに連れ込んだのだ。深い意味はない。ただテロリストの居場所でも知ってるかもしんねえな、くらいのつもりだった。だから公務だと思って酒代も付けだ。
 こうなると予測していたわけではない。断じて。
「……それというのも」
 酒の回ったくらくら顔で、銀時がそれでも腹の立つことを言っている。
「おまえが突っかかってくるからでしょが」
「誰がだ」
 最初に話を起こしたのは銀時だ。土方の方も頭がくらくらしていたが、それだけは覚えている。この酔っぱらいバカは妙に張り合って、色々いちゃもんをつけてきたのだ。
 それに大人らしく応えてやっているうちに、こんなざまだ。
 互いに酷く衣を乱している。銀時など隠したくもないような様子で、面倒そうに裾を引きずっていた。
 だらけているくせに緩んでもいない身体には、まだうっすらと朱が浮かんでいる。
 そんなもの見ていたくないのだが、だからといって顔も見たくない。なんといっても唇だ。それこそ赤すぎるそこには、先ほど件の息子が挟まれていた。
「だってさ、おまえが、勃ってたらこんなもんじゃねえみたいな話を」
「したがな」
「だっからこうなった。それはつまり君の責任でございますよ」
「黙れ。煩い」
 具体的にはその唇が動いているさまを見せないで欲しい。しかし、直接そんなことを言ったらまた面白がる。
 何が楽しいのかこの男は、いちいち土方で遊んでくる。最近では理解してしまった。そう、遊ばれているのである。
 土方が反応すればするほど、面白がってまた絡んでくるのだ。だから無視していればいい。いいはずだが。
 それも出来ないという不甲斐なさ。
(いや、俺が不甲斐ないわけじゃねえ)
 バカにバカにされるのは我慢できない。それだけだ。
「何よ負けたからってその態度ぁ」
「……なんだと?」
 だから引っかからざるを得ないというか。頭の端ではうんざりしている。これに構っていても仕方ないだろう。他に大事な仕事はいくらでもあるはずだ。これに比べれば。
 わかっているのだ、まったく。
「負けたのはてめェだろ」
「いやあのな、ちゃんと計ったでしょうが」
 わかっていながらどうしようもなく、呆れたような顔に腹が立つ。
「だから指で計ったら俺の勝ちだったろうが!」
「ああ嫌だ権力者って。そんなことまで誤魔化して」
「おい、待て、てめえ。酔いつぶれた目で何見てんだか知らねえがよ」
「見たんじゃねえよ、触ったんだ」
「……」
「口でも計った」
 何でもないように言って、唇を舐めている。なんか疲れたなあという仕草だ。色気も何もないのだが、それがまた逆にリアルだった。
 疲れた唇。
 できれば酔いつぶれてしまいたいのはこちらかもしれない。
「な? 覚えてんだろ」
 ちらりとこちらを見て、銀時は楽しげに言う。土方はなんとも言えなかった。それに勢いづいたのか、ずいっと顔を近づけてくる。
「な?」
「……近づくな」
「なーに、犯されたみたいな顔して」
 眉を寄せて睨んでみたが、全く気にする様子はない。
「犯されたのは俺。俺と俺のくち」
 指さされた唇の奥に歯が見える。持ち主に似つかわしくない、妙に律儀な歯だ。頭ほど弾けていない。整列している。
「……てめェにもやってやっただろ」
「うん?」
「手で」
 片方だけ大きくなってるんじゃ比べられないとか言いながら、手伝わされた。
 それに従ってしまったのは、ひとえに、やはりフェア感の問題だ。やられっぱなしは性に合わない。
「手は」
 土方が呟くと、銀時はまるで愛おしそうに目を細めた。いや、ペットをかわいがるような瞳だ。
 珍獣扱いしたいのはこっちの方だ。
「手は感覚が鋭いもんだ。口でサイズなんて計れっか」
 銀時が笑う。
「バカ、感覚が鋭いから困んだよ。……ちょっと貸してみな」
 言われて大人しく手を貸したのは、それが左手だったからだ。きっとそれなりに理解しているのだろう。一応は。
 一応は、それなりに、こいつも武士なのだ。
「んで、目をつぶる」
 告げてからちらりと視線をあげて、あぁ、と肩をすくめている。それが妙に自然な仕草で、抵抗するのもやめた。いつもふざけているだけ、真面目な顔をするのは反則だ。
「目つぶるのは無理か。んじゃ、ちょっと違うとこ見てな」
 木刀しか持っていないような男が、いきなり斬りつけてくるとは思えない。しかしそれでも、土方は目を閉じなかった。得体のしれない男に、全て任せる気にはなれない。
 だが利き手ではないとはいえ。
 片手を預けているのは、これはどういう意味だろう。銀時が両手でその手を包んでいるからか。良くないことだ。
 全く、あり得ないことであるはずだ。
「んで」
 引かれた手が口元に近づく。吐息を感じた。
「……っ」
 指の股をざらりと舐められて、思わず飛び上がった。たったそれだけのことだ。舌先が、ちらりと触れたくらいの。
「ほら」
 上向いた視線が笑っている。
「大きさなんか計れねえ。そーだろが?」
 言葉の調子ばかりは軽く、土方は手を引っ張った。無理矢理にでも離させるつもりだったが、あっさりと戻ってくる。
「……口も、同じだ」
 銀時は喉を鳴らすようにして笑い、また顔を近づけてくる。小さな傷まで見えるような距離だ。いつもバカなことをしている男は、些細な傷をいくつも。
「同じかもなァ」
「口だって同じだ」
「じゃあ具体的に」
 ふと思い出したように、銀時は欠伸をした。だいぶ酒にやられているようだった。笑い方も変にイカレている。ならば倒れて寝込んでしまえばいいのに、そうしない。
 なぜかと問いかけたくなるほど、瞬きを繰り返して起きている。
「くっつけて比べてみるかァ?」
 近づきすぎて膝頭がぶつかり、そんな振動までが甘くなる。なんだこれはと疑いたい。だいたいにして問題なのは、得体の知れない男ではない。
 得体の知れない自分の身体なのだ。
 そのことに思い当たり、頭痛が酷くなった。
「こりゃ……」
「……泥沼?」
 互いに疲れた言葉を吐きながらやめる気がない。本当にこれは泥沼だと土方は思った。もうどうしようもないという意味だ。
 俺だってこんなつもりはなかったんだけど、と銀時が呟く。
「つまりこれってなるようになったわけだ、まあ、運命つか」
 バカがバカなことを適当に言っている。そんなことより動かないで欲しい。音の小さな振動さえも、震えに変わって、脳味噌を馬鹿に揺さぶりそうなのだ。