|
駅前で逆ナンされてる赤屍を見た。 「……」 見なきゃ良かったなあ、と銀次は思う。というか、見つけた方がおかしかったのだ。これだけの人混みの中、赤屍は確かに目立つ黒衣ではあった。しかし、夜だ。保護色だ。 (っていうかあれだけ怪しい人に声かけられる日本女性万歳) などと微笑ましく思いつつ、立ち去りたいところであった。そうできなかったのは、黒衣の上で白く目立つ、指先の動きに気付いてしまったからだ。 とんとん。 さらりとした布を叩く動きは、少し神経質だ。そしてどうも、彼女達の話を聞く調子は、かなり面倒そう。 (苛ついてる……) これは不味い、と銀次は思う。あれだけ怪しい人に声をかけられる大らかな日本女性は、やはりというか気付いていないようだ。売れるくらい体内にメスを隠し持った男だとは、当然わからないのだろう。 見た目、赤屍はなかなかの優男だ。妙ちきな格好をしているのも、舐められないためかも知れない。 などと思ったが、すぐに否定した。そんな小細工が必要な人物とも思えない。 「……どうするかな」 銀次はとりあえずおろおろした。 もちろん、メスを取り出す様子でもあれば、何があっても止める気ではある。しかし、そうでなかったら。できればお近づきになりたくない人物だ。 救いを求めるように時計を見た。時間はある。じーっと観察していても、なかなか進まないくらいにある。 銀次はもう一度赤屍を見た。苛ついている、というか、やはり面倒そうだ。眠そうにも見える。気にすることはないのかもしれない。いくら赤屍でも、いきなり女性を切り刻むとは思えない。 (でも) 銀次でも時折ひきつるくらいに、昨今は無敵……いや、素敵な女性が多い。危険だ。 しばらく考えた結果、一応、声をかけておくことにした。びくびくしながら歩き出す。赤屍の視線が向けられた時は、前後もなく逃げだしたくなった。 「こ、こんばんは」 腹の底から声を出す。おや、の「お」の形に赤屍が口を開いた。次の瞬間にはなぜか、いそいそと女性が立ち去っていた。銀次は少し切なくなった。 自分たちに声をかけられたと思ったらしい。 「……とほ」 「おや、銀次君」 何事もなかったように、赤屍が笑った。妙に形の良い唇と、やや真っ直ぐすぎる瞳が強烈だ。銀次は三歩くらい下がった。もちろん頭の中で。実際に下がったら、その分、赤屍が進んで来るような気がしたのだ。 「何か御用ですか」 「は、いえいえいえ」 とんでもないです、と意味不明に返した。赤屍は特に不思議に思った様子もない。こんな生き物なのだ、と納得しているような笑顔を浮かべていた。 銀次はまた、なんだか切なくなった。 「まあ、いいですけど。こんなところであったのも何かの縁で」 「は、いやいやいや」 滅相もない、と手を振った。赤屍はちっとも気にした様子はなかった。笑顔。にこにこと手を上げる。 「このまま別れるのも惜しいことですし、是非」 ぴく、と銀次は惹かれるものを感じた。相手が誰だろうと何か奢ってくれるなら、行く。一瞬で出した、それが銀次の結論だった。 「是非、少し闘っていかれませんか……?」 実に謙虚な申し出だった。銀次は笑顔のままで固まった。あげられた赤屍の手に何かが光ったのが見えた。ぎしぎしと銀次は周りを見回す。 「……人がいますよ、いっぱい」 それはもう。道の端で立ち話も、そろそろ辛くなり始めている。 「ですから」 にこやかに、どこか照れたように赤屍が行った。 「場所を変えて、ですね」 「遠慮しときます」 「大丈夫ですよ、裏通りにね、ちょっと入ったらそんなに」 「いや遠慮しときます」 毅然として、上目遣いに笑顔から動かなくなった表情で言う。すると赤屍が非常につまらなそうな顔をした。子供がするような顔だ。 しかし、いくら銀次でもほだされるはずがない。銀次は手をあげ、ひりひりする頬の筋肉をさすった。 「ちょっとでいいんですが、骨までいかなくても……」 今日の赤屍さんは押しが強い、と銀次は思った。 (いつもクールなのに……) なんだか本気で縋られているような、ゆすられている、よりは、ねだられているような気になった。そのくらい、不思議に熱を感じる瞳だ。 「皮膚だけでも、その、もったいないですから」 何があったのだろうか、と銀次は思った。 「ああ」 ぽふ、と赤屍が手を打った。 「わかりました」 「な……何がでしょう?」 「食事を奢ってさしあげましょう」 「……」 銀次はちょっと迷った。 「……肉?」 「なんでも。血液のカロリー以上は」 けれど目が覚めた。なんだか妙にリアルで、はたはたと首を振る。 「遠慮します……」 「そうですか」 赤屍は切れそうな笑顔で言った。 「それじゃ、仕方がないですね」 つばの広い帽子を被り直す。にこやかな口元だけが見えていて、不吉な感じがした。それにしても解放されるようで、銀次はほっとする。そうして余裕ができたところで、気付いた。 なんだか彼はふらついている。 「赤屍さん」 「はい?」 背中を向けようとした彼を引き止めた。にこやかに振り向く。いつもの笑顔だ。銀次は鋭い視線を向けた。ちょっとないくらい、いつもは恐くてできないくらいの視線だ。 「大丈夫ですか?」 「だめです」 きっぱり。銀次はおろおろした。 「あのう」 「銀次君」 「……はい?」 「実は先月あたりから」 「はあ」 ほのほのと告げられるこれは、世間話だろう。銀次は少し落ち着いて、ちょこりと聞く姿勢になった。 「血を見ていません」 「……」 「どうも、なんといいますか。そう気付いてしまうとどうにも夜も眠れなくて」 「……我慢して下さい」 「だからといって、下らない馬鹿者の血ではどうにも」 「我慢しましょうよ」 「献血だと思って」 赤屍が手を伸ばした。反射的に半歩引き、銀次は腰を落とした姿勢をとった。自分の身は守らなければならない。しかし、赤屍が笑う。首を傾げた、どこかかわいらしい笑い方だった。呆れた、からかった調子にも見える。 「ああ、心配しなくても、大丈夫です」 「あ、そうですか」 銀次はそんなわけで騙された。気を抜いた頬に指先が触れてくる。なんだろう、と思っていると、ちりりとした痛みが走った。 「え」 「失敬」 「ええっ!!」 顔が近付いた。痛みに意識を向けていた銀次は、それをかわす事も思いつかない。形の良い唇が、触れる。頬、皮膚、流れ出した微量の血液。 くすぐられた気がした。 「……?」 びく、と震える。逃れるまでもなく、赤屍が顔を離した。唇が赤い。舌がちらりと見えた。まだ、頬には濡れた感覚がある。 銀次はほとんど無意識に手を伸ばし、頬の傷口に触れた。ささいで、しつこい痛み。爪でひっかかれたようだった。メスよりも、がさつな切り口に思える。 「どうも」 赤屍がにこりと笑う。銀次は呆然として、その唇に視線を向けていた。舌が舐める。恍惚とした瞳が近かった。まだ。引き寄せられそうな気がして、銀次は自分を押さえた。 危険だ。 「やっと眠れそうだ」 そんな銀次に、赤屍は微笑んだ。理想的なくちもと。ふらりと見せた背中は、しっかり伸びていてきれいだ。しかし揺れている。本当に眠りを欲していたのかもしれない。 銀次は見送るしかない。頬の痛みよりも、感触が上回っていた。触れられた。 舌の感触。 「……」 妙に印象的なそれを、銀次はしばらく忘れられないだろうと思った。忘れなければいけないだろう、ということも。そうできるかどうかはともかく。 危険だ。 |