おかしな依頼がたまに来る。大きくなりすぎた名前のせいだろう、と赤屍は思った。断れば良い話なのだが、面倒なことだ。下らない依頼人を切り捨ててみた時期もあったが、一向に減らない。
「やれやれ」
 面倒なことだ。楽な仕事ほど面倒なものはない。退屈は血を巡って身体を腐らせそうだ。運動によって代謝が起こるとも思えない。人形のようにぼんやりしているのとかわらない。
 悪夢みたいな滑らかさで、赤屍は最後の段をあがる。山の上の墓地だ。抱えているのは花束だった。依頼人は「仕事が忙しくて」来ることができないのだそうだ。馬鹿にしている。
 おもしろそうな仕事を優先的に回してくれるというので、嫌々ながら引き受けた次第だ。さっさと終わらせてしまおう。
(それにしても、なぜ私なんでしょうねえ)
 なにか邪魔でもあるかと思えば、さっぱりそんな様子はない。罠というわけでもないようだ。わずかな期待を裏切られ、赤屍は不機嫌になった。
 やはり、刻んでおいたほうがよかったかもしれない。
 そんな考えのまるきり見えない仕草で、墓前に進んだ。花をたて、線香まであげてやる。依頼人もここまで想像していなかっただろうという丁寧さだ。赤屍にすれば、単に「そういうものだ」と知識の通りにやっているだけだ。
 引き受けた仕事は、できるだけ正確にやり遂げる。ポリシーというよりは、そのくらいしかすることがないのだ。
「知ったことかって顔、してるねえ」
 動かない表情をそのまま上げ、赤屍は唇を歪めた。
「おや」
「そんな顔で墓参りなんてしてたら顰蹙だ。誰もいなくてよかったんじゃない」
「鏡クン」
 屈んだ姿勢を正し、帽子のつばを上げた。砂利道を音もたてないで、近くまでやってきているようだった。くるり、赤屍は無意識に手の中でメスを回す。
 どうせ虚像だと思えば、切り裂く気にもならないのだが。
「今日はただの観察だよ。君とは別件」
「それはそうでしょう」
 心からそう言うと、鏡は大袈裟に肩を竦めた。泰然としているようでいて、案外、演出過剰な人間だ。
「よほどつまらない依頼を受けたみたいだね」
「それよりもおもしろいことが目の前にあります。この山に、異常な電磁波があるという噂は?」
「僕は観察してるだけだよ」
「何もことは起こっていないと」
「そういうこと。……つまらなそうだね、ジャッカル」
 赤屍はそれこそつまらなそうに笑って、その隣をすり抜けようとした。つまらない場所に長居する理由はない。
「遊んであげようか?」
 すっと、なんでもない仕草で伸ばされた手が、首筋に触れた。ちりりとした痛みが走る。赤屍は冷たく視線を流した。
「下らない」
「つれないな。これが雷帝だったら?」
「時と場合によります」
「ふうん」
 例えば、と指先が求めている。ちりちりちりちり。指先にある爪は、割れた鏡の破片だろうか。血も流れず、皮膚が裂けもしない。けれど断続的な痛みに、赤屍はぼんやりしていた。
「ねえ、ジャッカル。もしも君の望む人を、全部殺してしまったら?」
「誰が」
 いくらか剣呑になる。視線を軽く受け流して、鏡は陶然としたような目を向けてくる。指先が与える痛み。血は流れない。ちりちり。くすぐったいくらいのものだ。
「君が。幸いにも、僕はそんなことはしない」
「それは何より」
「ジャッカル」
「まあ、そんなことになれば、あなたを殺せば良いだけです」
 それはそれで楽しそうだ。ぼんやり考え始めている赤屍に、鏡は笑う。
「本当は、誰でもいいんだろう?」
 しげしげと見返していた。顔をあげてしまった、表情のまったく見える状態で。不思議な顔をした赤屍を、鏡はやはりしげしげと見ている。
 しばらくのあとで、鏡は満足そうに笑った。
「誰でも良いんだ」
「それなりに楽しませてくれればね」
 首筋の手を払おうかどうか、迷っている。ちりちりしている。鏡はそんなことをしたくてしているわけではない。触れれば痛む。意図的にやっているわけではないのだ。
 だから、迷っている。
「そう、だいたいにして君は」
 殺気はない。攻撃的でもない。触れているだけなのだ。
「なんだってどうでもいい。死ぬのも生きるのも、どうだっていい。言われてるように、殺し自体が趣味なわけじゃない。死ぬ前の人々は必死で情熱的だ。そんなものを目にしていれば、自分もそうである錯覚を覚えるだけ。そんなものだろう、君は?」
 滑らせた指は頸動脈を掠めたが、やはり赤屍は気怠く手を動かさなかった。ちりちりした痛み。切り裂かれる錯覚。けれどそうはならない。
「……それが、何か?」
 気もそぞろに問いかける。鏡は、ひたすら無害な冗談を聞いたように笑った。軽く。容易く。指が震えて、痛みがずれる。
「だけど、それは」
 赤屍は彼の唇を見ている。存在感のない唇だ。否、彼の存在自体が薄っぺらに思えた。
 自分もこう見えているのだろうかと思った。
「それは誰にでもあることなんだ。自分以外に興味はない。自分に何かが得られるから、人は人を好きになる。尽くすにしたってそういうことだよ。そうすることで得られる何かが欲しいんだ」
「何の話だか」
「人を求めるプロセスと、何ら変わりがない」
 呆れて赤屍は空を見た。そろそろ限界だ。鏡の長い話を聞いているよりは、つまらない仕事を受けた方がましだ。
「そう考えると、君は、彼を愛しているんだろうね?」
 ぽかんと。赤屍は今度こそ呆れきった視線を向けた。なんだか脱力する気分だ。いっそ退屈が紛れるくらいに思えた。
「でも、彼はいつか死ぬよ」
「ええ」
 苦笑する。
「私が殺しますよ」
「だったら、俺にしとけばいい」
 首筋に留まっていた指が、頬にあがった。ちりちりする。それが鼻の先にまで届いて、赤屍は顔を振った。
「俺の方が良いよ、ずっと」
 鏡が笑う。気付けば両手で頬を挟み込まれていた。案外に真摯な表情が見つめてきている。それにほだされたわけではない。赤屍は、珍しいものをしげしげと見返していた。
 それも計算尽くのことだったのだろうか。ちりちり。両頬にあるしつこい痛みが、唇にうつった。指先が掠めたあと、顔を近づける。
 ずきりと、重く響くような痛みが走った。軽く、そっと重なった唇だけで。
「俺なら、ねえ。こうやって、痛みを与え合える。俺に触れられるのは好きだろう?」
 赤屍は指をあげ、傷ひとつない唇を辿った。けれど痛みはそこらかしこに残っていて、たまらないくらいだった。ちりちりしている。そして相手の唇すら、そうであるだろうと気付いた。
 刃みたいな触れ合い。それは互いの扱う刃のためだったのだろうか。
「それに俺は死なないよ。そうだろう?」
「ええ」
 まばたきをしてから、赤屍は目を細めて笑った。
「あなたは死にません。なぜなら」
 未だ痛みの浸透した、指先のメスを持ち上げる。大して技は必要としない。目の前の相手にぶつけた。
「偽物ですから」
 小気味よい破裂音がして、赤屍は背を向けた。しつこい痛みが残っている。風が吹くたびに、皮膚をじりじりさせていた。