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「それで、どこに行こうか?」 テーブルに肘を乗せ、にこやかに呼びかけた。向かいの赤屍は眠そうに目を擦ったが、何もかも面倒になったらしい。怒るでもなくメスを出すでもなく、椅子の上でふらふらぼんやりしている。 眠っている間に、よいしょと鏡が運んできたのだ。さすがに少し目が覚めたようで、幸いだと鏡は思った。 「やっぱ海かなあ。でも、君は明らかに水着を持ってないと思うから」 ふらふら。赤屍は鏡の話を聞いていない。鏡としても、別に聞いていなくても構わなかった。 「最初に買いに行かないとね」 かくん、と赤屍が身体を倒した。完全に目を閉じて、テーブルに突っ伏している。それをしばらく見たあと、鏡は溜息をついた。そもそも無理に起こしたのが自分だ、などということは既に頭にない。 目の前の「しかたない人」を起こそうと、鏡は手を伸ばした。さらりと落ちた髪に触れる。どうにも伸びすぎている、と唐突に思った。 「髪を切りに行くのもいいかな……いや」 人の手に触れさせる気はしなかった。しばらくじっと赤屍を観察したあと、鏡は立ち上がる。いそいそと部屋を出た。 ベッドに戻してやろうとか、そういうことは考えない。目先の事で頭がいっぱいだ。 「あのねえ、鏡クン」 ちょきちょき。新しいハサミで髪を落としていく。並べ立てられた鏡で、あらゆる方向を確認する。ハサミは買ってきたもので、鏡はもちろん自前だ。 「何してるんですか」 あいかわらず、赤屍はふらふらしていた。眠そうだ。けれど大人しくしているのは、数多い鏡をテーブルから取っ払うのが面倒だからなのだろう。片手を動かすのも嫌です、という風情だ。 「散髪」 何も答えは返らなかった。やはり面倒だったのだろう。鏡はいつでも逃げられる体勢で、器用に髪を切り落としていく。床の事は考えない。ただ、ぱさぱさ落ちていく黒髪がなかなか斬新に見えた。 悦に入っていると、赤屍がまたふらふらし、それから額をぺしぺし叩いている。目を覚ますつもりらしい。確かにそうで、放っておくと何されるかわかんないよね、と鏡は実に客観的にそう思った。 「何しに来たんですか、君は」 欠伸をひとつして、赤屍が言う。同時に手を払われて、おや、と鏡は呟いた。 「途中なのに」 「やめなさい」 まだ緩んだ殺気がきて、手首を裂かれるところだった。嫌な音がする。散らばった身代わりを見、鏡は目を細めた。 「相変わらず……」 言葉の終わりを待たず、腕を切り裂かれた。数歩引いて避けたのだが、破片の中にわずかながらの血が浮いた。それで満足したらしい、赤屍はメスを引っ込める。 だいたい、彼が鏡に追求をかけることはない。恐らく逃げ足が早いからだ。そんな相手を追いかけるのは、どうにも面倒で得るものがない。そんな考えでいるらしい。 さっさと切り捨ててしまえる相手なら、もちろんそうするのだろうが。 「ぎざぎざなんだけどなあ、毛先」 「だから何しに来たんですか、あなたは」 「眠そうだ」 無言。ただ見つめられるだけの視線にたえられず、鏡は息を吐いた。赤屍はよくわかっている。退屈にされると、とにかくだめなのだ。 「遊びに行こうかと思って。どっか」 「どっか?」 「レジャーだよ、シーズンだよジャッカル」 「……ひとりで行ったらいいじゃないですか」 くらくら。頭を押さえながら赤屍が言う。ベッドを恨めしそうに見た。ああ、と鏡は手を打った。 「そっか、身体が辛い? そうだよね、だって中に、」 「鏡クン」 平静な、にこやかなくらいの声が割って入った。メスなし。少し意外に思えて、鏡は手招かれるままに近付いた。気は抜かなかったが、こんな騙しはないだろう、と見越してのことだ。 逃がすのがつまらないのと同じように、下らなく殺してしまうのもつまらない。赤屍のそんな性質を理解し、大変だよねえ、などと思っていた。 「なに?」 顔を覗く。やはりぎざぎざの毛先が気になったが、誰も気にしちゃいないだろう。赤屍を見た時の反応が「髪切った?」というのは、世の女性に申し訳がない。 (いや、逆にわかるかも) とりあえず一挙動も目を離せないことは確かだ。 「ん?」 ひらひら手招きが続く。そうしながら赤屍は、椅子の上を動いて横座りになった。手を伸ばしている。こいこい。 まさか。 「……うーん?」 と、思ったが、何も聞かずに抱きしめることにした。ぎゅっと触れると、人形みたいに堅い。まったく人間らしくないんだから、と鏡は呆れた。そして回ってくる腕は妙にやわらかい。 嘘だと言っているようなものだ。眠そうな赤屍の視線を見返す。まったくやる気のない表情なくせ、鏡の背中に妙な感触があった。親指の付け根。おそらく目測をつけ、メスを扱うために、そこだけで触れているのだ。 すぐに気付いた鏡は、目の前の首筋に噛みついた。ひく、と震えた隙に腕を動かす。背中の、一点。 「どした?」 動きを止めた赤屍を、おかしく見下ろす。 「刺さない、の」 「私が、そんな脅しに負けるとでも」 「俺が、そんな脅しに負けると思う?」 互いに刃物を突き立てたままで、穏和なくらいに微笑んだ。それでも引く気にはならないようなので、鏡は少し考え、付け足した。 「ねえ」 「なんですか」 つっと、背中を刃先が通っていった。もう面倒になったのか、戯れる気になったのか。くすぐったい感覚をおって、鏡が目を細める。そうすると笑えるほどすぐにやめた。 「確かにこれなら、逃げられないだろうけど。つまんないことはやめようよ」 「……つまらない?」 これからおもしろくなるかも、という顔だ。 「どうせ、ここの」 コツ、と背中の一点を叩く。赤屍はやはり、落ち着かない気分にはなるらしい。身を捩った。 「動力を断ったところで、どこかに回収されるだろうし……簡単に修復できるんだよ。そしたら」 嫌そうな赤屍の視線がある。これ以上はヤバイかな、と鏡は判断した。怒らせたいわけではない。 「だからさ。俺を殺すのも、殺されるのも、これじゃおもしろくないだろう?」 背中を叩く。しばらく待つと、眠たそうな赤屍が頷いた。どうでもよくなったらしい。 「それはそうです」 すっと、背中にあたった感触が離れていく。何もない、ただきれいな指先を捕まえる。鏡はその爪の先に口付けた。愛おしげに窄めた唇で、ちょい、と触れる。 「何してるんですか」 赤屍が呆れている。その視線を、上目遣いに捕まえた。 「それに、俺をあんまり邪険にしないほうがいいと思うし」 「……そうですか?」 ふわ、と楽しげになる表情は、どうやら不穏な空気と感じたらしい。鏡はなんとなく空を仰いだ。そりゃあ、楽しい時の赤屍は良い表情をする。けれど、あまり何でもかんでも殺伐とされても、飽きがきそうだ。 「雷帝が死ぬか逃げちゃうかしたら、いつでも相手になってあげるよ、きっと」 「本当に?」 興味を覚えたらしい。それでもちょっと疑う視線を寄越している。なかなか刺激的な瞳だ。期待するようで、切り捨ててしまいそうで。 「今は無理だけどさ。色々忙しいんだよね、けっこう」 これは逆らわないな、と考え、鏡は手を伸ばした。頬に触れ、唇を重ねる。赤屍は唇が当たってますけど何か、という表情をしている。 苦笑して離れると、唇を擦ってやった。これは少し気持ちが良いらしい。ぼんやりして見える瞳で、赤屍が言う。 「……逃げません?」 「逃げない逃げない」 「どちらか死ぬまで、ですよね?」 きらきらした、子供の瞳だ。う、と鏡は呻きそうになった。これだけ無邪気に強請られるとは思わなかった。よくもまあ、雷帝は耐えられるものだ、とすら思う。 「そう、だから俺はキープしといたほうが」 「そうですね」 きっぱり。赤屍が告げて、うきうきと立ち上がりそうだ。どこに行きましょうか、とか言いだしそうに見える。こころなしかその瞳が赤い、というか。 恋する瞳に見えるのは。 (いや) どちらかというと、甘い食べ物を目にした乙女の瞳だ。 (俺って、保存食?) なんて思ったが、まあ、いいやと呟いた。食われるのは趣味ではない。来るときが来れば、動かない人形遊びをしようと思っている。 (こっちもキープなんだよ、ねえ) ちっとも悪いとは思わないが。 |