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女に振られてええいてやんでえオレは男の友情に生きるんだ、などと言いつつ安酒に溺れてふらふらどうやら道端で眠ってしまったらしい銀次が目を覚ますと、 隣に赤屍が転がっていた時の気持ち。 「……マネキン?」 まだくらくらする頭を抱え、銀次は止まった心臓を叩いて動かした。さすがにこれくらいで死んでいるわけにはいかない。 世の中には、妙な趣味の人間もいるのだ。赤屍マネキンのひとつやふたつ、道端に落ちていてもおかしくない。まったくよくあることだ。 (そうそう、ありがちありがち) 自分に言い聞かせつつ、今度は弾みすぎる心臓を押さえて観察する。ゴミだめみたいな場所だ。本当にゴミ捨て場なのかもしれなかった。少なくともゴミは落ちている。鼠も、現れそうだ。 とにかくそんな場所、壁に背をもたれさせ、赤屍マネキンは眠っている。黒い姿はいくらか安っぽく思えた。彫刻みたいな表情はそのまま、今にも瞼を押し上げそうだ。 「よくできてるなあ」 声にだして言ってみる。震えるのを気付かないふりをして、手を伸ばす。さらりと指にかかった髪は、堅く、しなやかに絡みつく。 銀次はふと、思う。笑師の鞭も、やはりこんなもんなのだろうか。とても近いような気がした。比べれば、どちらにも怒られそうなので言わないが。 「……材質はなんだろう」 あえて、あえて声に出す。自分を落ち着かせながら髪を引っ張ってみた。ぐい。ずるりと身体が動いたのに、銀次は悲鳴をあげたくなる。心臓がぷっつんと切れてしまいそうだった。胸を押さえ、ずりずり退く。 (偽物、偽物。……でも) 逃げておこう。 そーっと立ち上がり、背を向けずに後退した。ゴミから離れるに従って、自分の匂いが鼻についてきた。顔を顰める。思わず指先に視線を向け、鼻先に持っていくと、そのままの姿勢で固まった。 いねえ。 「あー」 「どちらに行かれるんですか?」 背後から。まったく無邪気な問いかけだった。銀次はどちらかというと、もっと似つかわしい声で告げて欲しいと思った。なんだか、いつ何をされるかわからない。 (そんな感じが) しかし逃避してもいられない。びくびくしながら振り向いた。切れ長の瞳を見ると、きゃーっと悲鳴をあげて逃げてしまいたくなる。あとで殺されそうなので、必死で自分を押さえておいた。 「おはようございます赤屍さん良い日ですね」 きらびやかな笑顔を浮かべる。 「はい。とても良い日です」 そりゃあもう、不満のない笑顔で答えられた。本当にこの笑顔が似つかわしい人だったら、友達になれたのになあ、などと。 少し不遜なことを考えた。 「それで、赤屍さんは、えーっと……こちらでお休みで?」 「ええ、ちょっと用事がね」 「お忙しいのですね」 きらきら答え、それじゃ、と言い出すタイミングを計っている。じりりと靴が三ミリくらい動くと、赤屍は言った。 「あなたに用事が」 銀次はなんかもう発電しているので、仕方なく足から地面に逃がした。これをアースという。片足の靴が脱げているというのも、たまには役に立つらしい。 「……ご用件は」 なんとなく世を儚みながら聞いてみると、赤屍はにっこり笑った。 「とりあえず、臭いですね」 「はい、臭いです」 なんかフローラルな匂いでもしはじめそうな笑顔だ。 「どこかで洗いますか?」 「どこかって」 やっぱり公園だろうか。それ以外の選択肢がないとしたら、そうだろう。けれどふと、銀次はちょっぴり期待した。 ちなみに、さっきまで脅えていた相手に期待するというのは、ややご都合主義かもしれない。 「あのう、赤屍さん」 「なんでしょう」 「百円下さい」 「いいですよ」 動じない赤屍を、銀次は初めて、頼りがいのある人だなあ、などと思った。貸して下さい、じゃなくて、下さいと言ったのに。 (もしかして騙されやすい人なのかも……) ついつい、銀次は赤屍を心配した。 うきうき百円玉を握り、銀次は大通りを歩いた。通りすがる人々が避けて行くが、今の銀次にはわからない。目の前のことでいっぱいになるのが、案外、生きる知恵なのかもしれない。 「こっちですよ」 銀次は時折うしろを振り返り、赤屍に笑顔を向けた。どう考えても見失うような人ではなかったが、そんなことは考えない。 「はあ」 「えへへ。一度来てみたかったんですよね、コインシャワー」 「コインシャワー」 赤屍は微妙に瞳を眇め、ちょっと呆れたような顔をした。 「最近は銭湯も高いんですよ。なんか、レジャー施設みたいになっちゃってて」 うきうき。道の端にある看板が見え、銀次はどきどきしてきた。心臓が痛いくらいだ。昨日のアルコールが残っているのかもしれない。 「あれ?」 「どうしましたか」 ふと、銀次は考え込んだ。アルコールが残って朝シャワーなんて。頭の端に何かがひっかかった気がする。 「あ」 ぽんっと手を打った。 「いけません赤屍さん、オレ」 「……なんですか」 足を止めてしまってから、銀次はしょんぼりした。赤屍はほんの数ミリくらいの興味を見つけたような顔で、ちょこりと首を傾げる。かわいらしいような仕草でさえ、妙な威圧のある人だった。 しかし今の銀次は、とりあえず目の前の恐怖に意識が向いていない。 「お酒を飲んで風呂に入ると、死んじゃうそうなんです」 「はあ。そんなに飲んだんですか」 「コップ一杯くらいは」 「……お手軽な方ですね」 「そうなんです。すっかり忘れてました」 しょんぼりしていると、ふむ、と赤屍が顎に手をあてた。ストイックな格好でそれをやられると、殺人鬼には見えない。なんだかインテリな教授みたいに見えた。 「そういえば、赤屍さんって」 ドクターと呼ばれる由来について聞こうとして、遮られた。 「大丈夫ですよ」 「え」 「そのくらい。それより不衛生なままでいるほうが問題です。風呂ではなくてシャワーですし、よほど熱湯だとか冷水でなければ。あなたが心臓弱いとは思えませんし」 「本当ですか!?」 がしり。 勢いのまま飛びつくところだった。堪え、肩を掴むだけに留める。それにしても至近距離になった赤屍の顔に、銀次の方がびっくりした。失礼な話だ。 「あ」 不思議そうに首を傾げた赤屍は、やんわり、銀次の手を退けさせる。なんだか腫れ物に触れるような扱いだった。 「わ……、ごめんなさいっ」 そういえば、手は汚れたままだ。 「いいえ?」 赤屍はきょとんとしている。いやに幼い表情だ。そんなことを思った自分に、銀次はまた脅えておいた。 「えっと、とにかく」 「行きましょう」 「え、あ、そこですから」 「はあ」 よくわからない顔で振り返りながら、赤屍はてくてく銀次の手を引いてくれた。引率されている気分だ。しかし、お金をくれたので、銀次は大人しくついていった。 「行ってらっしゃい」 店に辿り着くと、入口で赤屍は手を振った。 「えっと、赤屍さんは」 「私は汚れてないので」 にこ。圧力のある笑顔で言われて、それ以上何も言えなかった。同じ場所に座っていたはずだが、汚れていないのだから仕方がない。 「行ってらっしゃい」 「はい……」 どうしても背中を見せられず、おどおど下がって入っていく。一度引き返して、もう百円貰った。 「すみません二百円なんてオレちっとも、」 「いえいえ、お気になさらず」 さっぱりシャワーを終わらせると、ほのかな期待も裏切り、赤屍は入口で待ち続けていた。営業妨害になっている気もしたが、もちろんそんな指摘はできない。 「おかえりなさい」 「はい。ごちそうさまでした」 「はあ?」 「お湯が」 赤屍はなんだか不可解そうな顔をしていたが、まあいいや、と思い直したらしい。 「お粗末さまです。……なんだか濡れてますよ」 「その、タオルが……有料だったので」 「なるほど」 呆れているようだ。さすがに銀次は恥ずかしさを覚え、しょんぼりした。今日はしょんぼりしてばかりだ。それというのも、昨日の事が尾を引いている。 (オレって……甲斐性なしだし) 女の子に言われたその意味はわからなかったが、なんとなく、否定できないような気がしていた。 「それで、その。赤屍さんは、何の御用でしょうか」 「……ああ」 赤屍はじーっと銀次を見、笑った。蛇に睨まれたカエル的に、銀次は表情をなくす。 「歩きながら話しましょうか。これから、どちらに?」 「は、いえ。はい」 すぐさま話して欲しかったが、立ち話というのも目立つ。おまけに営業妨害だ。だからといって、喫茶店に入る金はないし。そこまで奢ってもらうわけにいかないし。 「……公園にでも」 「はい」 黒い、幽霊みたいなのを引きつれ、公園に向けて歩く。児童に悪い影響がないといいな、と銀次は危惧した。 「しかし、あなたが飲酒というのも似合わないですね」 いつのまにか隣にいた赤屍が、静かに話しかけてくる。苦笑した。 「よく言われます」 「失礼ながら、そんなお金があるとは」 「あ、いえ。ある時はあるんですよ」 さっさと使ってしまうだけで。 と、ふと思いついて確認しておくことにした。 「あの……もしかして二百円」 首を傾げ、赤屍が銀次を見た。口元に小さな笑みを見つけて、銀次はたまらなくなる。殺人鬼に笑われたってどってことない、はずなのだが。 なんだか妙に、恥じ入りたくなるのはなぜだろう。 「けっこうですよ。今日、面倒をかけるお代ということで」 「はあ?」 恐ろしいことを言われたような気がして、赤屍を見返した。あいかわらず赤屍は、彫刻的にきれいな笑顔を浮かべている。 「大丈夫ですよ。心配しなくても、今日、あなたと闘う気はありません」 「あ、そうですか……」 ほっとする。しかし、らしくないことを聞いた気もする。 (闘う気はありません、だって) 少しは平和的になってくれたのだろうか。そんな期待を持ちかけた銀次に、赤屍はにこにこ言う。 「実は先日の仕事で、なかなか腕の立つ方がいらっしゃいまして」 「はあ」 「充分にやりあったもので、とても満たされた気分なのです。こんな時に、あなたを殺してしまうというのも勿体ないでしょう?」 「……」 勿体ないでしょう?と言われても。 「しかし、こんなに欲求不満が解消するのも珍しいことですし、この機会に何かできないかな、と思いまして」 なんだか心臓がどきどきしてきた。銀次はおろおろ周りを見回し、とりあえず赤屍を黙らせたくなってきた。公園まで、あと少しだ。自分ひとりが犠牲になるべきなのだろうか。 「そこで、思い出したんですよ、銀次クン」 がし、と肩を掴まれる。動揺した銀次は、ちょっとわけわからんことを言ったりした。 「は……っ、いや、食べないで下さい」 「前々から、あなたがどうしたら本気になってくれるのか、考えていたのですが」 とりあえず食べられないようなので、銀次は上目に見つめてみた。赤屍は銀次を見てもいない。どうやら興奮しているらしい。見た目は冷静だし、言葉も落ち着いているのだが。 余計に恐い。 「馬車に相談してみたところ、それはやはり、あなたを知ることから始まるのではないか、と」 「……」 怖がりつつ、馬車さん面倒くさくなったんだな、と銀次は思った。 「いうわけなので、今日一日、あなたについていこうと思います」 くらり。 「……あのう、赤屍さん」 それにしても頭の端にひっかかる。どうしてこんなことを思い出すのだろう。昨日のかわいい子の台詞だ。 『あなたになんてついていけないわ』 自分は呪われているのではないか、と思った。なんでかわいい子にあんなことを言われ、こんな相手にこんなことを言われているのか。別に銀次はそれほど傷ついているわけではない。だが、逆だ。逆であってほしい。 しかしふと、顔だけはこっちのほうがいいかもしれない、などと思った。こんな自分から。 「逃げて良いですか?」 「ダメです」 赤屍はとても楽しそうだった。コートがうきうきして見える。確かに殺気はない。不審なほどにない。 |