「ああ、お揃いだ」
 トラックの助手席に乗り込むなり、手を叩いてそう言った。また、何か下らないものでも見つけたのだろう。馬車は関わらないことにして、しっくりくるハンドルに手を添えた。
 手袋越しにでも、熱を伝えてくる。これもまた悪くはない。ギアチェンジしようとして、ふと、気付いた。
「……まさか、これか?」
「そうですよ」
 にこり。何がおかしいのか、子供のようにクスクス笑っている。その手に貼りついた手袋。できれば一緒にして欲しくはない。
 と、馬車は思った。無骨な彼は恐れたのではなく、面倒がって言わなかったが。
「この暑いのに」
「……暑いから、じゃ」
「はあ」
 わかっていないようだ。身体に染みついた動きでトラックを発進させ、周囲確認をしながら答えてやった。
「陽のあるうちじゃき。熱、持っちゅうて素手では触れん」
 夜の仕事が多かったので、気温があがってから、乗り合わせることがなかったのだ。
「ああ」
 ぽん、と赤屍が手を叩く。今日はずいぶんオーバーアクションだ。馬車はそう思ったが、やはり言わなかった。妙にハイテンションな時は、つつかないに限る。
 あんまり退屈すぎて、少しキレかけていることが多い。かといって、ここしばらくは物騒な予定もない。
 赤屍が関わるというのは、確かに物騒な仕事が多いのだが。赤屍の仕事というのは、まず、ここにいるだけで用が済んでいる。乗り合わせていると知るだけで、手を引く仕事屋は多いのだ。
 赤屍にしてみれば、まったく期待外れとなるわけだ。
(難儀なことじゃが)
 あまり同情はできない。してほしくもないだろう。
「あなたは手の皮が厚いから、平気なのかと思ってました。てっきり」
「ほがなわけなかろう……」
 夏の陽に照らされたハンドルというのは、ほとんど凶器だ。火傷しそうな暑さを、皮を鍛え上げるくらいでどうにかなるものではない。あるいは、そうできるにしても、それより先に手袋をする。
 暑いと感じているだけで、ハンドルミスをすることもある。裏の仕事をする者にとっては、数ミリのズレだけで致命的なミスなのだ。それをしてこなかったからこそ、馬車はそれなりの名を得られた、とも言える。
「そんなに熱いですか?」
 ふいに。助手席から手を伸ばされて、馬車は思わずその手を払うところだった。しなかったのは、やはり、恐いからではない。単に車外に向けた集中を崩す気にならず、好きにさせておいた。
 指先が伸びてくる。運転中は手元など見ていないのだが、馬車は思わず、視界の端に捕らえずにいられなかった。きれいな指だ。ゴムの手袋に包まれていることが、無粋にも、それで正しいのだとも思えた。
 ふっくらした、ほんの指先が触れる。おや、と呟いた。
「そんなに熱くも」
「どがな手ぇ、……おい」
 手をひっぱたいて離させた。触れていた部分にわずかな取っ掛かりが残ったのを確認し、溜息をつく。
 赤屍は自分の指をしげしげ見、いやに楽しそうだった。
「溶けた」
 ゴムがハンドルに残っている。わずかながら、気化したゴムの匂いがした。嫌なものだ。
「溶けた」
 仏頂面を隠さずにいるというのに、赤屍はうきうきともう一度呟く。
「溶けましたよ、馬車」
「……いっさん言うたらわかる」
「おもしろいです」
「どこのガキじゃ」
「でも、熱くないです」
「触りな!」
 やや強い静止をしたというのに、聞く様子はない。こうなると苛ついてきて、馬車は眉間に皺を寄せた。ちょっとばかり厳つい男の顔くらいで、どうにかなる相手とも思えなかったが。
「触りませんよ。もう、そんなの」
「はあ?」
「こっちのほう」
 触れてきたのは、ハンドルを握る指のほうだ。特に意味があるとも思えない、ちょっとした、擦るくらいの触れ方。わずかな驚きを覚えたあと、呆れきって馬車は溜息をついた。
「あんなァ……」
「熱というのは」
 何か考え事に夢中なようだ。いっそ殴ってやろうかと思ったが、それには停車しないことには不味いだろう。まかり間違って赤屍がトラックを削ったりすれば、ちょっとしたことではすまない。
「熱というのはおかしなものですね」
「……」
 何を言い出すのか、すばらしい発見をしたかのように、きらきらした瞳だった。そんなふうに、ある意味で生気のある姿というのは、なかなか見られない。
 血に酔ったような姿であれば、いつでも見られるのだが。それを安全に見られる特権というのを、馬車は意識したことはない。
「あなたの手の方が熱く思えます」
 それについて深く考えることは、しないらしい。それは退屈だと考えているのかもしれない。ただ、いやに和んだ唇で告げたあと、赤屍は助手席で欠伸をした。
 ああ、眠いのだ、と馬車は思った。そのせいなのだ。
「何かあったら、言って下さい」
 そのまま眠りにつく。卑怯な姿を、馬車はぼんやり視界の端に捕らえていた。殺しを求める時とは違う、穏やかな寝姿だ。顔を見られたくないのか、単に眩しいだけなのか、黒い帽子を顔に乗せて。
 まるで、ただのくたびれた旅人のように。
「……卑怯もんが」
 口の中だけで呟いた。触れた指先。高揚した熱さでも、夏の暑さでもない。溶けたゴムの隙間から、するすると触れた、ぬくもり。生々しい。そんなことを考えてもいなかったものだから。
 馬車は初めて、ああ、こいつも生きているのだなと思った。そんなことを思わない方が、うまくやっていけるに決まっている。誰にだってそうだ。皆、すれ違う人形なのだ。
 これではまるで自分は、善良な誰よりも、赤屍を人だと認めたようなものだ。呆れる。
「阿呆、らし」
 ぼやく。下らないことではあった。