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なんだか具合が悪い。下界の出来過ぎたベッドで目を覚ますと、鏡は、とりあえず周りを見回した。 「……きらきら」 朝日が床に反射して眩しい。眠るために使っているような、赤屍の部屋だ。埃だけが積もっていた床が、きらきらする破片で覆われている。 身体の痛みも忘れ、なかなかいい、と鏡は思った。下界にしては悪くない光景だ。なにしろ平べったい床などは観測に適さない。つまらないのだ。 「ジャッカル」 ふにふに。この光景を見せて感想が聞きたい。そう考え、鏡は隣で眠る赤屍の頬をつねってみた。そのくらいで起きるはずがないと思い出し、べちべち頭を叩いてみる。反応はない。 殺気を出すような気分でもない。とりあえず諦め、それよりも目前のことに興味がわく。あっさりと赤屍から離れ、床に足を降ろした。彼の付属物であるそれが、彼自身を傷つけることはありえない。 ぱり、と音がする。いくら扱い慣れたものだといっても、床一面、敷き詰められているのは初めて見た。粒子ではなく、鏡の形を残したままなのだ。下向くときらきらした朝日と、自分の顔がいくつも映り込む。 機嫌の良いまま、ぱりぱり音をたてて洗面所に向かう。バスルームの前まで、光の絨毯が続いていた。こんなところまで来たのだ、と鏡は思い出して笑った。 (遊びすぎたかなあ) 反省しているわけではない。自分をおもしろがっている。こんなにも面白いのは、相手が相手だからだろう。馬鹿みたいなことを、そうと気付かずにやっている。 (機嫌が悪かったんだろうな) お互いに。いつもは機嫌が悪いとピリピリしてくるのが赤屍で、それをからかうのが鏡だ。ほどほどに、怒らせないように、けれど楽しめるように。それが昨日は、鏡も機嫌が悪かった。引き際を考えず、ひたすらにからかったのだ。 結果、逃げもせず本気にもならず、部屋で遊び回ったということだ。部屋中を破片だらけにした頃には、赤屍の機嫌もほどほどに治り、満足して眠ってしまった。ベッドだけは無事に残されていたのだから笑える。 闘うにしても鏡はたいてい、のらりくらりと逃げ回るばかりなので、それ以上追求する気もなかったのだろう。運動して発散した、くらいの意味だったに違いない。 「ふわ……」 欠伸をして顔を洗った。歯磨きをして髪をとかして、襟元を整えて頷く。なにしろ汚いより、きれいないほうがずっといい。きらきらした幻覚はそこから生まれるのだ。 ぱりぱり。けれどこの床を片づけようとは思わない。この状態の方がきれいだ、と認識したからだ。 「……あ」 と、鏡は気付いた。しかしこのままでは、部屋の主が歩けない。ベッドの周りは特に破片が積み重なって、避けて歩くことも無理だろう。 さて、妙なことで赤屍を追い詰めてしまった。おかしく思いながら、どうしたもんかと考える。抱き上げて運ぶといったら、どういう反応をしめすだろう。いや、こちらが潰れそうだからやめておこう。 「あぁ、そうだ」 ぽん。手を打ってごそごそ、棚を探し始める。どこに押し込んだものか。すぐには思い出せなかった。椅子を持ってきて上がり、収まっていた鍋を手当たり次第に落とす。誰が片づけているものか、とりあえず鏡には知ったことではなかった。 がこんがこんと音をたてていると、赤屍が起きたらしい。とにかく意識がありさえすれば、絶対に気付かずにいられないくらいの存在感だ。 「……何してるんですか」 大欠伸をしながら。まったく最近では、鏡に慣れてきたようだった。床を埋め尽くすきらきらについては、特に感想はなさそうだ。 「ちょっと」 がこんがこん。またいくつかの物が落ち、ようやく鏡はそれを見つけ出す。入っていたスーパーの袋を投げ捨てた。 ぼんやりしている赤屍の元に戻り、足下に置いた。 「……」 赤屍は何だろうとも思わない様子で、ただそれを見ている。かなり前、押し掛けるようになった頃、鏡が買ってきたものだ。 うさぎスリッパ。 「人の部屋をなんだと思ってるんですか、あなたは」 何も見なかったような調子で、赤屍が言った。 「いや、似合うと思って」 何も聞かなかったことにして、鏡が言う。 「誰が掃除すると思ってるんですか」 「かわいいし」 「それに床も。持って帰って下さいね、ちゃんと」 「歩くの大変だと思うけど」 赤屍が溜息をついた。鏡が笑う。 「どうせ、君が掃除するとは思えないしねえ?」 それは確かにそうだったのだろう。赤屍は何も言わなかった。ふらりとベッドの周りを見回し、結局、スリッパを履くことにしたらしい。鏡を刺しても、とりあえずどうにもならないと思ったようだった。 きゅ、とスリッパから音がする。 「うん、似合う」 鏡が拍手した。ぱり、とその足下から音がする。それをちら、と冷たいような視線で赤屍が見る。鏡の足が傷ついていないか確認したらしかった。 ふうん、と鏡は思う。まったくかわいいものだった。 ふわふわしたスリッパが進み、洗面所に向かう。光の上を進むさまは、ゆらゆらしてかわいらしく、なんだか神々しかった。 「王様みたいだ」 「おうさま」 呆れたような言葉が返る。ベッドに腰掛けて、鏡は赤屍の姿を観察する。 「もう少し、こう、恰幅が必要な気もするけど」 「かっぷく」 「太ったほうがいいね、ジャッカル。その方がいっぱい入るんじゃないかな、メス」 振り向き、無言で赤屍が首を傾げた。何を考えているのだろう。同じ角度に鏡も首を傾げてみた。赤屍が笑う。 「……?」 思わず気を取られた。赤屍がすっと足をあげたことに、一瞬、反応ができない。あ、と声をあげた時には、赤屍の素足が床に触れていた。尖った破片が刺さる。挑むみたいな視線を向けてきていた。 ぐ、と足に体重がかけられ、破片が朱に濡れ始めていた。鏡は溜息をつく。 「わかったよ」 脅しているのだ。さすがにこれだけの量の「武器」を奪われるのは、鏡にとってよろしいことではない。赤屍にとっても、大して利になることでもないだろうが、脅しのためならやりそうだ。 「おいで」 手招きする。赤屍はスリッパをわざわざ履きなおした。まったく嫌味なのだ。これで、うさぎスリッパは血糊スリッパに大変身だった。 赤屍がベッドに戻るのを確認して、鏡はひょいひょいと部屋を歩いて回った。ぱりり、と見る間に砕けていく破片が、繊細な粒子に変わって、鏡のてのひらに吸い込まれていく。 視線を感じる。観察されているのだ。まったく人の仕事を、と鏡は呟いてみた。愚痴っぽくて悪くない。 全ての破片を回収してしまうと、とてとてとベッドに戻った。 「ご苦労様です」 「いえいえ」 にこりと笑う赤屍に軽く返事をして、そのまま彼の足を引っ張りあげた。ベッドに腰掛けていた赤屍は、ころんと転がる。鏡は血塗れになった足裏に溜息をついた。 傷はどうせ塞がるのだろうが。まったくきれいなままだとは保証できない。治癒力というものは、皮膚を滑らかにするわけではないのだ。 もしかすると武器がどうより、こちらが問題だったかもしれない。 「まったく。もったいないことをする」 何を今更、と赤屍が笑う。けれど足の裏くらいはきれいであってもいいだろう、と鏡は思うのだ。どうせ他の部分は傷だらけだ。いつも伏せられた部分は、奇跡的にきれいが残るべきなのではないだろうか。 妙な拘りではある。鏡は不機嫌に、出血した傷口に唇を寄せた。 「ふ、」 赤屍が吐息を漏らした。血の味がする。ざらざらした血には、色々なものが混ざり合っていそうだった。いくつか取り込まれたのだろう。そう思い、一口、鏡はその血液を飲み込んだ。 「……きれいな足だったのに」 呟くと、赤屍が珍妙な顔をした。それから笑う。それがどうかしましたか、とあえて告げてくるような顔だ。案外わかっているんじゃないか、と鏡は思った。 「でも鏡クン。あなたも見てみるといい」 首を傾げると、手招きされ、足を引っ張りあげられた。そこに血の色があるのを見て、ああ、と鏡は呟いた。 鏡の落とした破片が、鏡を傷つけることはない。昨夜の攻撃は今になって、しっかり目標を傷つけたらしい。 「私のメスも、たまには欠けるらしい」 哲学者的に赤屍が呟く。鏡はなんとなくぼんやりして、その様子を眺めてしまった。唇が近付く。足の裏を舐められるなんて、くすぐったく、馬鹿らしく、いやにぞくぞくするものだった。 わずかに赤みを増した唇が離れて、鏡は少し笑った。自分も同じ状態なのだろう。相手が人形なら、自分も人形なのかもしれない、と思う。 人形遊びをしているだけ、の。 外の世界も何もない。意味がない。刹那的に続けられている、子供の好奇心。鏡は伸び上がって唇を求めた。なにしろプラスチックの唇が、あわさって、何事もなく離れるさまを観察したかった。 |